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2016年5月 2日 (月)

エントロピーと成長経済(1) Entropy and Growth Economy (1)

 自然界では、物質は必ず劣化し朽ちる。生物種の個体もその例外ではない(したがって、自己複製することで生物はそれを乗り越える)。地球の自転でさえ、潮汐力等の様々の要因による抵抗で少しづつ自転速度が遅くなっていることは、原子時計の登場以降明らかになっている。

 しかし、人間の社会に一つだけ、この自然の摂理に反するものがある。利子である。もし借金が複利計算なら放置すると雪だるま式(幾何級数的)に増えていく。自然界では、決してあり得ないこの現象が可能なのは、それが人間の世界における約束事だからである。

 金塊や現金通貨は、たとえ放置したとしても自動的に増えはしない。あたりまえである。それらは物質だから、熱力学第二法則(エントロピー非減少則)の例外にはなれず、必ず物質的に劣化し朽ちていく。

 一方、人間は、元本に利子をつけて一定期間後に返済する約束をして他者から借金をする。物質的に増えないものを増やして返す、というのだから土台無理な話なわけである。

 金融界に簡易な複利計算法として、元本が何年で2倍になるかを計算する「72の法則」というものがある。式は至って簡単。

年利(単位:%)×年数(単位:年) = 72

例えば、年利3%で銀行預金したら何年で2倍になるか。
3(%) × x (年)=72
x (年)=72÷3=24
つまり、24年間銀行口座に放置すれば、100万円が200万円になっているという寸法である。

 国家規模のGDPで年率3%の経済成長率なら、24年後にはGDPは2倍になっていることになる。米国や日本、中国などの巨大な経済がこんな速度で一斉に成長しようものなら、50年ほどで地球生態系の精妙な複雑系は破綻の憂き目にあうだろう。

 有史以来、活発な経済活動が存在した文明圏で、利子付き借金が存在しなかったものはない。しかし、年々増殖する利子は、人間社会では約束として存在できるが、物質法則には反する。この矛盾はどう処理されてきたのだろうか。

 それは当然のごとくデフォルト(債務不履行)である。債務者が非力であれば、債権者が担保権を実行し強引な債権回収が可能(ベニスの商人!)だろうが、かつての身分社会での王侯貴族への債権は、いろいろな口実でデフォルトされてきた。我が徳川日本における大名貸しも踏み倒しの憂き目にあった。巨額の借金も最終的には、王が死亡するなどの理由で頻々としてデフォルトされた。したがって銀行家は王への融資はどうしても慎重にならざるを得ない。

 ところが、初期近代の西欧の一角で、デフォルトリスクがほぼない王侯への貸金が可能となった。17世紀末のイングランドである。なぜデフォルトリスクがないのかといえば、その返済資源として特定の租税収入をひも付きにしたからである。そのひも付きの言質が王個人のものであれば眉唾ものだが、議会が保証・立法化し議事録に残したので、嘘八百の入り込む余地がないものだった。これが近代的国債の起源である。

 初期近代における西欧の諸王は対外戦争に狂奔した。しかし当時の軍事革命 と大西洋貿易の進展(シーレーンsea-laneの安全保障)により莫大な戦費がかかるようになっており、それは王個人の信用力でファイナンス可能な域を既に超えていた。ここに最終的に返済がチャラにならない(チャラにできない)、踏み倒されない(踏み倒せない)安全確実な国家の借金=国債が誕生したことになる。

 もう踏み倒せない以上、近代主権国家は国債の返済資源である税収を増やし続けるしか道がない。税収を増やす方法は増税が常套手段だが、これはいつの時代でも簡単ではない。国民の懐が潤うにしたがって税収が自動的に増える租税があればこれは好都合。これが初期近代イングランドで中心となった物品税(消費税)、関税である。所得税が中心となるのは20世紀以降だ。

 初期近代の主権国家は、戦費の累増と国債によるそのファイナンス、巨額の国債償還の資源としての税収拡大策が複合化し、17世紀末以降のイングランドにおいて、財政=軍事国家 として完成する。これも国家が、王のproperty〔=王国〕から、国民のcommonwealth〔=共和国〕となり、債務者を《王 = 自然人》から《国家 = Corporation》へと変更できたからである。西欧初期近代における覇権国家が、オランダ→イングランドという順序になったのもそれぞれの共和国化の進展に比例することがそれを傍証している。(注1)

  こうして、近代主権国家は、国債を媒介として利子経済が年々膨張する国家財政にビルトインされ、税収拡大のために国家全体(GDP)の経済成長を目指さざるを得なくなる。しかし、所詮それは自然の摂理に反すること。いずれどこかで最終的な帳尻合わせが来る。それは、第一次世界大戦後のドイツのハイパーインフレや、戦後日本の戦時国債・戦時通貨の紙切れ化、預金封鎖等の究極のデフォルト(敗戦)、という歴史の教訓を見れば明らかだろう。

※仮に国債が累増しても、その累積残高のGDP比が一定に維持できて、累積残高の加重平均表面利率がGDPの名目成長率を上回らなければ、国家財政は破綻しない。これを「ドーマーの定理(ドーマーの条件)」という。が、流通している理解とドーマー自身の提示には若干齟齬があるようなので今は触れない。
Title: The "Burden of the Debt" and the National Income,
Author: Evsey D. Domar,
The American Economic Review, Vol. 34, No. 4 (Dec., 1944), pp. 798-827

(2)、へ続く。

(注1)下記の弊記事も参照されたし。
共和制と財政=軍事国家(メモ)
D.ヒューム「市民的自由について」1742年 (David Hume, Of Civil Liberty)

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