浄土真宗の《予定説》(201800401参照追記)
願力回向の説
親鸞は、このような心を抱くこと自体が、阿弥陀仏の側から一般衆生に回向されているとし、信ずる心を含めて、浄土往生に必要な条件は、すべて阿弥陀仏の願力によってすでに実現されているのであって、ただその事実を信じさえすればよい、と説いた。
尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書(2000年) 、P.97
悪人正機説
「自力作善の人」すなわち阿弥陀仏の慈悲を信ぜず、自力で善行を積んで救われようとする「善人」が、いわば不信心の人であるのに対し、自己の罪業の深さを自覚し、ひたすら仏の慈悲に頼ろうとする「悪人」の方にこそ、救済の可能性がある
尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書(2000年)、PP.97-98
信者は自分が信じることができる、召名を受けていると感じることによって、選ばれていると確信することができる
久米あつみ『カルヴァン』人類の知的遺産28、講談社(1980年) 、P.36この教理はカルヴァンの教理の基礎ではないが、神の至高性と絶対主権に発する彼の思想体系の帰結として、まさに「アーチの頂上のかなめ石」となったのである。
久米あつみ『カルヴァン』人類の知的遺産28、講談社(1980年)、P.36
カルヴァンの予定は「神による選び」のことであるから、ストレートには親鸞とつながるわけではないのであるが、親鸞の師である法然には、『選択(せんじゃく)本願念仏集』があり、
この阿弥陀仏が選択した本願に対する信が、法然の「信仰」の基本
尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書(2000年)、P.96
であることからすると、人知を超えた超越者からの「選び」を信ずるというロジックは共通しているように感じる。う~ん、捲土重来。
〔参照〕ウェーバーの「浄土真宗」観(20180401追記)
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