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2016年11月 3日 (木)

インターフェースとしての言葉( Language as an interface )

 今日、地球上に各地に見られる、ヒト以外の多様な生物種は、自然の選択圧のscreeningを受け、fitnessの高い身体(表現型)の生物種へと置換(=進化)して、その生物相を構成している。

 ヒトは、その身に受ける選択圧に、身体が進化する代わりに道具類を進化(変化)させることで、適応して生存してきた。

 道具とは、すなわち言語である。

 個体としてのヒトはかなり脆弱だ。冬期に裸体で屋外に出されたら、それほどの時間をかけずに死に至るだろう。そのヒトの体を保護する衣服、家屋は、ヒトが相互にコミュニケートし、機能する集団として働きかけあってできた結果である。コミュニケートや相互の働きかけには、非言語の部分もあるが、これには同じ場所、同じ時刻の共有という条件が必要となる。異なる場所、異なる時刻でのコミュニケートに、ヒトどうしでは言語を媒介とせざるを得ない。我々が孔子やプラトンからの、二千年を超えるメッセージを受け取るには、ビデオレターでなく、言葉が刻まれた木簡、碑文やパピルス文書を介するしか方法がない。

 ヒトにおける大脳の存在と言語の発達は相即するものなのだろう。このいかにもバランスを欠いた身体構造は、ヒトが身体進化を止めて、道具としての言語を進化させたことを意味する。

 動物は、その身体を外界とのinterfaceとする。無論、外気にさらされている体表面だけのことではなく、内臓を含むbodyすべてが彼が身を置く環境世界とのinterfaceとなる。つまり、動物は自己のmaterialな存在すべてが自然の選択圧に晒されており、その選択圧の変化と、なんらかの変異mutationと交配crossingの結果、各生物種のfitnessに有意な差が生じ、残存生物種が複数世代を超えて置き換わった(進化した)。あえて言えば、動物は「物自体」Ding an sich (Kant)と触れている身体がinterfaceとなっている。その変化が進化として地球上に、いま痕跡を残している。

 ヒトは、ある時点から、環境世界と己のmaterialなbodyとの間に言語を挿し込んだ。それ以降、ヒトは「物自体」Ding an sich とは直接触れることはできなくなる。一度かぶってしまった、言語というマスク、すなわちinterfaceをはずすことはヒトにはできなくなっているからだ。

 地球上のあらゆる生物は、ユクスキュル(Uexküll)のいう環世界 (Umwelt)を構築して生存している。動物の環世界にはその身体がinterfaceとして含まれ、したがって、環境世界に変化が生じた場合、各生物種のそれまでの安定していた環世界の適応度fitnessに変化が生じ、種に応じた残存率に変化が生じる。結果としてその環境世界の生物相は変化する。

 ヒトの環世界にはinterfaceとして言葉が含まれているため、身体を媒介とする他の生物種に比べるとその可塑性が圧倒的に大きい。これが、ヒトが生物種として現在の地球上に一種類しか存在しないのに、万華鏡のような、多様な生活スタイルで地球上各地で適応している理由である。

 ヒトは言葉を獲得したことで、生物種としての巨大な自由を得た。しかし、その自由は、「物自体」Ding an sich としての環境世界にアクセスすることが不可能となる代償のうえにある。ヒトは「自然」から「歴史」へと追放され、常に新たな「歴史」を創造せざるを得ない永い苦役と、ひと時の歓喜の間で彷徨う存在なのである。

〔関連記事〕
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