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2017年11月17日 (金)

文字無き世界(1)/ a world without characters

 文字の無い、あるいは文字が使われない社会を人類学では無文字社会とか、前文字社会とか言ったりします。この言葉を聞いて思いつくのは、例えば、アマゾンやボルネオ島奥地の密林で小さな集団(共同体)を作って暮らす、部族社会の人々でしょう。彼らはしばしば「現代において石器時代の生活を送る」といった形容がなされたりします。

 我々が暮らす現代社会と彼らの社会の違いは、《豊かさ》vs.《貧しさ》といった次元のところにあるわけではありません。《大規模かつ複雑な社会 large scale and complexed society》 vs.《小規模かつ単純な社会 small scale and simple sciety》というところにあります。後者は顔と顔を突き合わせる(face to face)ことが可能な範囲の社会と言い直してもいいでしょう。

 一方、いかなる規模の共同体においても、所与の環境下でその人間集団が「烏合の衆」化せず生き延びるため、指導者(leader)を選び出しています。仮にその共同体が face to face の範囲に収まるならば、そこのリーダーは共同体内で発生する日常的な仲間間の揉め事 conflict に対処しようとするとき、とりあえず当事者たちに会うことから始めるでしょう。しかし、これが千人の共同体ならどうでしょうか。1人の指導者が千人のメンバーと個人面談する、というのはなかなか難しそうです。

 またこういう話もあります。経験豊富な中小企業経営コンサルティングの実務家が言うには、1人のマネージャーがモニターできる労働者の数は、肉体労働者なら50人まで、知的労働者なら20人までがそれぞれ上限だというのです。そうだとすれば、

 50人の肉体労働者を管理する1人の中間マネジャー×20人=1000人

 モダンな経営管理の知識・経験を踏まえれば、仮にface to face だけでも、ぎりぎり1人のリーダーが1000人を統治することはできそうですね。縄文時代の三内丸山遺跡の盛期は500人内外で暮らしていたようですから、そこらへんが限界だったのでしょう。

続く

〔参照〕
文字無き世界(2)
文字無き世界(3/結)

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