戦間期の留学熱
戦間期(Interwar Period)とは、第1次世界大戦の終結(1918年11月、大正7年)から第2次世界大戦の勃発(1939年9月、昭和14年)までの約20年間を指します。この時、大挙して戦勝国日本の留学生が敗戦国ドイツ(ベルリン)、オーストリア(ウィーン)を中心に、欧米中を巡りました。
その実数がどのくらいになるか、私も統計数字を確認できていません。ただ、その後の激動の時代を生き延びて、太平洋戦争敗戦の詔勅(1945年8月15日)を聞くことができた、4~50歳代の学者や文人の経歴をたどると、大抵、戦間期前半あたりに長短の留学を経験しているのです。その理由は幾つか考えられます。
①第一次世界大戦(1914 - 1918)中は日本から欧州に向けて留学できる状態ではなかったので、留学適齢期の予備軍が満を持して一斉に出かけた。
②19世紀末から第一次大戦前のドイツ(語圏)は、文理を問わずその文化的創造性はある種のピークに達していた。第二次大戦後のドイツ(語圏)にはあまりその面影はなさそうですが。
③帝政ドイツの敗北後、共和政ドイツは社会の全局面で混乱を極めた。とりわけ経済において、ドイツ(語圏)にハイパーインフレーションをもたらし、通貨「マルク」が暴落した。そのため、戦勝国日本人はその通貨「円」で楽々と留学できた。具体的には、それまで四半世紀以上も1円=2マルクだったものが、1920年9月頃から1円=30マルクとなり、1922年3月には1円=100マルク、といった有様でした。
以上三つの中で、もっとも強力に日本人をモチベートしたのは、③でしょう。それまでドイツは留学先として憧れに過ぎなかったのが、一気に現実味を帯びた訳ですから。二人の実例をあげましょう。
例1 和辻哲郎(留学時38歳、京都大助教授) 1927(昭和2)年~1928年ドイツ。父の死もあり1年半で切り上げ帰国。ベルリンで、直接師事したわけではありませんが、その1927年に出版され、戦間期ドイツの「不安 Angst」を象徴していたハイデッガー「存在と時間」を読んでいます。
例2 三木清(留学時25歳、フリーランスだったが、波多野精一の推薦、岩波茂雄の資金で留学) 1922(大正11)年~1925(大正14)年ドイツ、フランス。こちらはマールブルク大学で、ハイデッガーに直接師事。カール・マンハイム(当時30歳)、カール・レーウィット(当時25歳)といった少壮学者(ポスドク)たちを、ドイツ語(あるいは希・羅等の古典語)チューターとして雇っていました。ちょっと凄すぎてイメージ湧きませんが。
その三木清の回想から、戦間期におけるドイツ在留、日本人留学生の雰囲気の一端を幾つか垣間みてみます。
その頃ドイツには日本からの留學生が非常に多くゐた。私の最も親しくなつたのは羽仁であつたが、私と同時に或ひは前後して、ハイデルベルクにゐて知り合つた人々には、大内兵衛、北昤吉、糸井靖之(氏はにハイデルベルクで亡くなつた)、石原謙、久留間鮫造 、小尾範治、鈴木宗忠、阿部次郎、成瀬無極、天野貞祐、九鬼周造、藤田敬三、 黒正巖、大峡秀榮、等々、の諸氏がある。〔三木清全集第1巻〕p.413
そんな状態であつたので若いドクトル連中は皆喜んで日本人のために個人授業をした。〔三木清全集第1巻〕p.417
このやうにして私たちは若い學者をいはば家庭教師にして勉強することができた。〔三木清全集第1巻〕p.418
當時はそのやうにドイツのたいていの大學町には日本人留學生が多數にゐたのである。〔三木清全集第1巻〕p.420
マールブルクにゐる間、そしてその後も時々文通によつて、私の讀書を指導してくれたのはレーヴィット氏であつた。私は氏によつて單に哲學のみでなく、廣くドイツ精神史の中に導き入れられた。〔三木清全集第1巻〕p.424
以上、引用はすべて、三木清「読書遍歴」1941年、三木清全集〈第1巻〉パスカルに於ける人間の研究,人生論ノート (1966年)から。
想像できそうでしょうか。近いうちに、この時分の時代精神を今に伝える《隠れたる名著》の紹介記事を書くつもりです。ご期待ください。
※下記の名著も御参照されたし。
生松敬三『ハイデルベルク―ある大学都市の精神史』1992年(講談社学術文
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