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2018年3月16日 (金)

本居宣長と両墓制

 宣長には、二つお墓があります。先祖伝来の菩提寺、浄土宗樹敬寺に一つ。もう一つは、宣長を実際に土葬した、松坂郊外の山室山の頂上(一応、浄土宗妙楽寺の寺域内)の「本居宣長之奥津紀」です。前者は、世間一般の法事等のためのもの。後者は、いわば「本居宣長」という大学者のファン用のもの、です。

 ここには、建前上は平穏に暮らす市井人、仮の宣長と、古の雅な世界に遊ぶ、本音の真なる宣長、がある、というのは、見やすい点です。仮面の人「本居宣長」の、内面の自由の発露、と言えるのかも知れません。ただ、もう少し当時の一般の慣習に視点を広げると下記のようなことがあります。

 ・・・、近世になると、身分や階層に関係なく、すべての人に墓が作られるようになるが、それは両墓制とよばれる特異な形態をとった。両墓すなわち二つの墓とは、埋め墓と詣り墓とであって、別の場所に造られる。死者は埋め墓に葬られる(土葬)が、そこにはそれ以後は家族も近づかず、年忌の法事などは、すべて詣り墓で行われる。詣り墓は寺の近くにあるのが普通で、そこで行われる死者のための供養も、仏式によっているから、この詣り墓は仏教の普及と関係があり、したがってこの二つの墓を造る風習も、さきに見たように仏教が普及した十五世紀前後のころに生まれたものと推測される。・・・。
 詣り墓仏教の影響で生まれたとすれば、古代以来の日本の一般の庶民の墓は、埋め墓だけあり、それは捨て墓ともよばれるように、死体遺棄に近い性格のものであったと推測される。古墳の被葬者が不明になっているのも、葬った時の儀礼は重要であっても、その後に継続して死者のための祭祀が行われるということはなかったからであろう。これも一種の遺棄である。
 両墓制の風習は、現在でも奈良県や三重県など、近畿地方の農村に多く残っている・・。
尾藤正英『日本文化の歴史』2000年岩波新書、pp.131-2

 宣長は松坂の有名人でしたから、その葬儀は松坂奉行所からも注視されていました。宣長の遺言書中にある、遺体を入れない空の棺は樹敬寺へ、遺体の収められた棺はその前夜密かに妙楽寺へ、という異様な葬儀指示は、松坂奉行所の意向を受け、実際には、一旦、遺体を安置した棺を樹敬寺へ送り通常の葬儀を済ませ、その後、山室山の頂上に埋葬したようです。しかし考えてみると、奉行所からの指図による変更はこれだけだったようですから、宣長が指示した「墓を二つ造る」、ということは特に問題とされてはいなかった、と思われます。つまり、上記、尾藤氏の記述通り、この伊勢あたりでは普通の当たり前だったことになります。

 問題は、宣長に二つの墓があることは(当時の)世間並だったとしても、その重みが世間と全く逆だったことでしょう。お墓の主、宣長にとっては、世間でいう、遺体のある「埋め墓」(別名捨て墓)が真の大切な墓であり、縁者たちが永く法事を営む「詣り墓」は、世間様とのお付き合いのための形式的なものでしかなかった、からです。古代主義者である本居宣長にとっては、古代の習俗を残す「埋め墓」が、仏教化後の「詣り墓」より重要なのは当然ですが、当時の松坂で当たり前の「二つの墓」の建前を逆手に使い、それを自らの本音を実現する「二つの墓」に仕立て上げた訳です。

 彼の学問スタイルである、本音で建て前を脱構築(déconstruction)する方法論を、人生最後で最重要なイベントにおいてさえも実施した本居宣長。これはある意味、日本知性史において、驚くべき人物(渡辺浩)だったと評されるのも頷けます。私のような単細胞とは思考回路が異なり、一筋縄ではいかないのは明らかです。スフィンクスの謎かけのように、彼の問いに答えられないとむしろ逆襲されて、その思想に呑み込まれてしまうような危険人物だと改めて思います。桑原桑原。

下図、参照。図1、2、3とも、宣長十講|墨彩画講師の徒然日記、様より拝借

〔参照〕
渡辺浩『日本政治思想史』2010東大出版会、pp.274-5。
子安宣邦『本居宣長とは誰か』2005年平凡社新書、pp.191-3。
田中康二『本居宣長』2014年中公新書、pp.210-1。
城福勇『本居宣長』1980年吉川弘文館、p.237-47。
尾藤正英『日本文化の歴史』2000年岩波新書、p.130-3。
松本 滋「本居宣長の遺言について」1967「宗教研究」41(2)
※本論文、松坂奉行所の件(p.6)、両墓制に関して(p.13)、参照

〔参照→弊ブログ〕

〔図1.宣長の詣り墓、本人デッサン〕

〔図2.宣長の埋め墓、本人デッサン〕

〔図3.宣長の位牌、本人デッサン〕

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