Max Weberの「浄土真宗」観〔2〕
〔1〕で挙げた大塚久雄の指摘そのものを、ご参考までに引用しておきます。
西洋史の流れのなかでは、イスラエルの宗教文化が一つの源流になっているだけでなく、そこから近代文化への決定的な方向づけが出てくる。アジア史の流れの中では、こうしたイスラエルの役割をはたすようなものの姿ははっきりとは出てこない。しかし、じつは、マックス・ヴェーバーがこの点で、もし私の読み方が正しいとすれば、しばしば示唆するのは、日本なのです。日本史の流れのなかで、仏教の一つの教派 ― たぶん浄土真宗でないかと思う ― がそういう方向を指し示していたといっています。それに彼は、完全な形で西洋的な意味での資本主義文化、近代文化に到りつくことはできなかったけれども、とにかく、封建社会を経てそうした方向への萌芽を示したのは、アジアでは日本あるのみだとしているのです。
大塚久雄『社会科学の方法‐ヴェーバーとマルクス‐』1966年岩波新書、pp.145-6
率直に言って、21世紀初頭の時点から振り返ってみると、故大塚久雄の知的貢献は、圧倒的に日本における Max Weber 理解を深めたこと、Weberの紹介者、ということになるのではないかと思います。彼の知的遺産の二本柱は、初期近代の資本主義形成史とWeberの祖述、ですが、前者は Karl Marx の大枠にWeber的視点を部分的導入したにとどまり、むしろそれが日本の知的世界における《西欧資本主義観》をミスリードしたと思います。それに比べると、Weberへの理解、解釈は深い。少なくとも私はその恩恵にたっぷり与っています。
大塚の初期近代資本主義形成史理解の問題点の起源は、結局、イングランド資本主義を見るのに、Marx(主)とWeber(従)という二人のドイツ人の圧倒的影響下にあったことが災いしていたと思います。この二人のドイツ人は、資本主義がその名の通り、Capitalのシステムだということを理解できなかった。何故なら彼らの眼前で演じられていた母国ドイツの資本主義の勃興が《工業》と《技術革新》に基づくものであったからです。資本主義のベースは、《工業》、すなわち、巨大な生産設備やイノベーションを体化したhardwareという実物資本の累積でありその一国システムだ、と考えるのは、19世紀ドイツ人としては避けられないものでした。
しかし、イングランド資本主義は、元来、外国貿易、その裏面の対外戦争、そのファイナンスのための、国債と通貨を中心とした信用・金融システム、として興隆したものです。それは初期近代だけではなく、実は、現在でも一貫してそうです。イングランドの支配身分は、昔から今でも、かつてのコンソル公債(consolidated annuities)とか南アフリカのダイヤモンド鉱山会社からの利益証券の配当で暮らしているような有閑階級の人々です。産業資本家などマイノリティに過ぎません。
そんなことは、イングランド人なら労働者階級でも常識なのでしょうが、academism(というかscience)をdilettantismから解放して、方法化、組織化*して大英帝国を巻き返そうとしていた後発資本主義国ドイツ帝国では気付きようはありませんでした。Weber は、ドイツの有閑階級(成功した亜麻布資本家の末裔で、Rentnerとして暮らしていた)の一員なのだから、冷静に考えれば気付きそうなものとも思いますが、彼の学問は、彼の自己救済のためのものでしたから、仕方ないでしょう。
* scientia est potentia(knowledge is power)です。
現在では、資本主義の本質は、金融や信用だということは明白なので、大塚の中産的生産者層的アプローチの歴史理論としての破綻は明かですが、それでも日本のアカデミズム内の資本主義発生史論には、かつてのエピステーメーの残滓として根深く残っています。
大塚は、オランダ資本主義研究が初期のテーマだったので、オランダ資本主義が産業(工業)資本主義とは別のタイプの貿易・金融資本主義だったことは十分承知していました。だから、それをそのままイングランド資本主義理解につなげればいいだけだったと思いますが、彼のWeber理解の深さは、そのキリスト者(無教会派)としての信仰の深さによりますから、その点は Weberの学問と似た事情があったと推測されます。
いずれにしても、Max Weberや大塚久雄であっても、学的な完全無欠さは、神ならぬ人には求め得ぬことなのですから、それを補い、改善することは、衣鉢を継ごうという私たちの責任ではあります。
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