芥川龍之介「羅生門」大正4年
芥川龍之介「羅生門」大正4年、を読みました。
※See Akutagawa Ryunosuke "Rashomon" Taisho 4 years (1915): 本に溺れたい
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芥川龍之介「羅生門」大正4年、を読みました。
※See Akutagawa Ryunosuke "Rashomon" Taisho 4 years (1915): 本に溺れたい
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小説はそのなかで自動車でドライヴするとき、テーマの展開と筋の展開の軌跡にすぎません。しかし歩いていくとき、これらは言葉の織物であることをはっきり露呈します。つまり、生垣と見えたもの、遠くの山と見えたもの、花の咲いた崖と見えたものは、ただの景色ではなくて、実は全部一つ一つ言葉で織られているものだったのがわかるのであります。昔の人はその織模様を楽しみました。小説家は織物の美しさで人を喜ばすことを、自分の職人的喜びとしました。
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■脳内の像(image)
人間の頭のなかの記憶は、一つ一つの塊(object)が連想の糸で繋がれ、数珠つなぎの形で格納されています。
続きを読む "脳内の像の言葉を通じた次元低下とその復元 Reducing dimension of the image in the brain by words and its restoring"
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外山滋比古氏が『思考の整理学』1986年ちくま文庫、の文庫版あとがきで興味深いことを述べています。
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Emil Lask(1875―1915)
In his Being and Time (1927), p. 218 footnote (German edition), Heidegger wrote: "E. Lask is the only one outside the mainstream of phenomenological research who has taken over the work of the 'phenomenological theory of truth' in a positive way. He then cites Lask's "Philosophy of Law" and "Theory of Judgment". From this we can imagine a little of the importance of Emil Lask. Perhaps today we underestimate the neo-Kantians too much.
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"Yo soy yo y mi circunstancia, y si no la salvo a ella no me salvo yo."
Meditaciones del Quijote ,Madrid,1914, pp.43-44
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