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2018年6月

2018年6月30日 (土)

芥川龍之介「羅生門」大正4年

芥川龍之介「羅生門」大正4年、を読みました。

※See Akutagawa Ryunosuke "Rashomon" Taisho 4 years (1915): 本に溺れたい

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2018年6月25日 (月)

三島由紀夫が誘(いざな)う、小説の楽しみ方

小説はそのなかで自動車でドライヴするとき、テーマの展開と筋の展開の軌跡にすぎません。しかし歩いていくとき、これらは言葉の織物であることをはっきり露呈します。つまり、生垣と見えたもの、遠くの山と見えたもの、花の咲いた崖と見えたものは、ただの景色ではなくて、実は全部一つ一つ言葉で織られているものだったのがわかるのであります。昔の人はその織模様を楽しみました。小説家は織物の美しさで人を喜ばすことを、自分の職人的喜びとしました。

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2018年6月24日 (日)

脳内の像の言葉を通じた次元低下とその復元 Reducing dimension of the image in the brain by words and its restoring

■脳内の像(image)
 人間の頭のなかの記憶は、一つ一つの塊(object)が連想の糸で繋がれ、数珠つなぎの形で格納されています。

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2018年6月16日 (土)

ライプニッツからマンデヴィルへ/ From Leibniz to Mandeville

Gottfried_wilhelm_von_leibniz

以下、村上淳一氏の著から2箇所引用します。

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2018年6月11日 (月)

知識再生堂(Renqing-Reprint)を始めました

まず、第一弾は、

北昤吉著 『哲学行脚』 大正15(1926)年 新潮社刊

です。一度、お立ち寄り頂ければ幸いです。

renqing、こと店主兼編集発行人 上田悟司

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2018年6月 8日 (金)

二十世紀はいつ始まったか?(2)When did the twentieth century begin?

(1)からの続き。

■総力戦体制

 現代歴史学では、《現代》、《現代化》は第一次世界大戦以降ということになっています。その際のキーワードは「総力戦」※です。

※一つのエポックは、20年前の下記の書。

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2018年6月 7日 (木)

'It seems to me' から 'I think' へ

 外山滋比古氏が『思考の整理学』1986年ちくま文庫、の文庫版あとがきで興味深いことを述べています。

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2018年6月 4日 (月)

Emil Lask und Heidegger

Emil Lask(1875―1915)

In his Being and Time (1927), p. 218 footnote (German edition), Heidegger wrote: "E. Lask is the only one outside the mainstream of phenomenological research who has taken over the work of the 'phenomenological theory of truth' in a positive way. He then cites Lask's "Philosophy of Law" and "Theory of Judgment". From this we can imagine a little of the importance of Emil Lask. Perhaps today we underestimate the neo-Kantians too much.

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2018年6月 2日 (土)

Yo soy yo y mi circunstancia / Jose Ortega y Gasset (1883-1955)

"Yo soy yo y mi circunstancia, y si no la salvo a ella no me salvo yo."
Meditaciones del Quijote ,Madrid,1914, pp.43-44

「私とは私と私の環境のことである。もし私がそれを守らないなら、私自身を守らないということだ。」

“I am I and my circumstance; and, if I do not save it, I do not save myself.”
"Meditations on Quixote"

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