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2018年6月 7日 (木)

'It seems to me' から 'I think' へ

 外山滋比古氏が『思考の整理学』1986年ちくま文庫、の文庫版あとがきで興味深いことを述べています。

 つまり、日本人が「・・・・・と思います」と言い、英語でもうっかり I think とやっているのは、たとえば、「われ考う、ゆえにわれあり」(Cogito, ergo sum.〔I think, therefor I am.〕)とは別ものであることを承知しなくてはならない。日本人が「と思う」というつもりで I think というとき、その第一人称には自分の責任においてという自覚はあまり認められない、としてよい。 think にしてもしっかりした思考を打ち出そうとしているのではなく、むしろ、判断をぼかすためのベールのような役割を果している。(P.220)

 これを読んでハッとしたのは、Descartes の「考える、おもう」は、重い言葉らしいということです。責任の所在を明確にする意志までが込められている。つまり西欧語での「think」相当の語は、日本語の語感の「思う」とは随分様子が異なるらしいということです。

 また、外山氏はその末尾で、

  I think のエッセイが試論であるとするなら、It seems to me のエッセイは随筆、随想ということになる。いずれにしてもエッセイストはもっとも身近なところで思考の整理をしているのである。何か考えたら書いてみる。その過程において考えたことが It seems to me から、すこしずつ I think へ向かっていく。われわれはだれでも、こういう意味でのエッセイストになることができる。(P.223)

と記しています。

 恥ずかしながら、「本に溺れたい」主人としても、弊ブログにて It seems to me を書き散らしながら、願わくは I think にたどり着くようにしたいですし、それがたまたま弊ブログで道草を食んで頂く方々の「I think」の種子になればこれに過ぐる喜びはありません。

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