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2018年7月 3日 (火)

維新=ボリシェヴィキ革命、の最大の歴史犯罪

 維新=ボリシェヴィキ革命の最大の歴史犯罪は、神仏分離=廃仏毀釈です。

 二つの点が犯罪的でした。

1)徳川人の基層モラル=神仏習合的仏教エートス(多元論的世界観)を破壊しました。

 このことが、明治日本人を出世亡者(成長主義、国家膨張主義、勝ち負けだけに異常に固執する二元論者)にできた、最大の要因の一つです。「あの世」にリアリティを持てないなら、「この世」に生きている証を求めるのは、人間として極当然の反応です。

2)近代日本人が、文書からではなく、マテリアルに、維新クーデタ以前の庶民生活を辿れる絶好の歴史リソースを粉砕しました。

 したがいまして、現代日本の寺社の光景は、実はほとんど維新以降のものであるため、徳川期あるいはそれ以前の実相がさっぱりわからなくなっています。世に歴史好き、歴女は多くいるでしょうが、現存する神社仏閣が実は、維新期にでっち上げられたことはしっかり認識されていません。

 例えば、東京の西多摩郡(明治26年までこの一帯は神奈川縣)にある、福生(村)には、二百年(文化元年1804以前から)続いているとみられる夏祭りが現存していますが、当時の様子を伝える史料は皆無です。

 もともと、祇園系神社の天王社があり、毎年六月「天王祭」が行われていました。明治二年(1867)の神仏分離令で、天王社は、「八雲神社」となり、福生神明社の隣に、境内神として格下げして移されました。祭の名称も「八雲祭」に変更されますが、村人の内では「天王祭」でした。

 その後、明治27年に祭の時期が六月から八月に変更されると、養蚕業で食べていた福生村では、やりたくても農繁期でできず、村人の祭としてはさびれ、ついに中止の憂き目にあいます。しかしそれでは楽しみにしている子どもたちがあまりに可哀想と、大人が農作業している傍らで、子ども中心の祭としてほそぼそと継続します。

 そこに、日露戦争後(当時の《戦後》)の農村疲弊対策として、内務省の山縣派官僚が音頭を取った、いわゆる「地方改良運動」とう官製キャンペーンが推進されます。

 その一環として、かつての「若者組」「若衆組」が「青年団」として再組織されたのを契機に、祭を青年団が引き継ぎます。同時に、この官製キャンペーンは、徳川の村を引き継いでいた自治村落である部落を、その割拠性から財政基盤が脆弱であるとして、1888年の市制町村制に続いて、一村一社と財産の町村への統廃合を再び果たしています。そして敗戦(1945年)、区画整理と続き、祭は町会主体となって現在に至っています。

 たった二百年まえのことが不明になっているのは、神仏分離・廃仏毀釈という狂気の日本版《文革》が、社の建築物、それに伴う文書史料を徹底的に破却したせいです。

 特に、京都祇園社(八坂神社)=天王社は牛頭天王が祭神で、それは素戔嗚命とも同一視されていましたから、天皇家の血筋と牛を一緒にするな、くらいの認識で、格好の破却対象となったであろうと思われます。個人的には、この手の全国規模の破壊だけでも、維新クーデタ首謀者は全員国家犯罪者だと本気で思います。

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