村上淳一氏を巡る雑感〔続〕
以下、正編への備忘として追記します。
故村上氏は、論争を厭わない方でした。というより、意図的に(生産的な)論争を起こそうとされていた節がありました。
大抵は村上氏が仕掛け人となっていたように思います。私が承知している事例は、
1)国制史家成瀬治氏(東大・文)とのイングランド国制史理解を巡るもの
2)思想史家佐々木毅氏(東大・法)とのルソーの「家」理解を巡るもの
の二つしかありませんが、それぞれにかなり重要な論点を含むものでした。
ただ論争は応答者(参加者)相互が知的に奮闘しないと、「新しい論点の発見」という成果を生むのは難しい。前者は成瀬氏の応答がありましたが、後者はどうも不発だったような気がします。おそらく、村上氏のキャラからいって、その生涯にいくつもの論争を仕掛けていたでしょうから、著作集が編まれるなら、そういう巻を含んだもの、あるいは「村上淳一論争集」といった単行本が出ると、21世紀への知的遺産になる気がします。応答者(あるいは非応答者)が難色を示す可能性は高いですが。
日本のアカデミズムで、知的に成果をあげた論争があまり出ない理由は、一つ考えなければならない点だと思います。徳川期の論争は活発だったような気がしますので、明治期以降の問題かも知れません。大日本帝国コンスティチューションが自壊したことと同根の可能性もあります。〔2019.01.15記〕
| 固定リンク
「国制史(Verfassungsgeschichte)」カテゴリの記事
- 古代・中世世界における「女性」の社会的地位と日本文化の特異性——「歌合」の男女混合性をめぐる歴史人類学的比較文明分析——(2025.11.16)
- Pierre Legendre vs. Harold J.Berman [English version](2025.10.20)
- Pierre Legendre contre Harold J. Berman [Version française](2025.10.20)
- ピエール・ルジャンドル 対 ハロルド J. バーマン(2025.10.20)
- Vom Streben nach Erwerb und Eigentum zur Orientierung an Fürsorge und Verpflichtung(2025.07.06)
「村上淳一(Murakami, Junichi)」カテゴリの記事
- コンティンジェント(偶有性)の海を渡ること / Überquerung das Meer der Kontingenzen(2025.04.14)
- アテネとエルサレム:西欧におけるヘレニズムとヘブライズムの相克(2025.03.31)
- 自由と尊厳を持つのは、よく笑い、よく泣く者のことである(1)/ To have freedom and dignity is to be one who laughs often and cries often (1)(2023.06.05)
- 明治29年のライブニッツ/ Leibniz in Meiji 29 (1896)〔村上俊江氏肖像を追加20231217〕(2023.02.25)
- 荘子、ニーチェ、湯川秀樹/ Zhuangzi, Nietzsche and Yukawa Hideki(2022.08.30)


コメント