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2019年4月 1日 (月)

平川 新『戦国日本と大航海時代』中公新書(2018/04)〔4/結〕

〔3〕での議論はこうでした。

化石資源(石炭)を燃料とする熱機関が搭載された陸上輸送手段(鉄道)が登場する19世紀半ばまでは、海上輸送(船舶)が陸上輸送(人力、畜力)より圧倒的にエネルギー効率が高かった。だから、帆船(商船および軍艦)のテクノロジーを飛躍的に発達させた近代西洋が世界を支配できた。

 つぎに問題になるのは、それではイベリア半島の2王国(ポルトガル王国とイスパニア王国)から、大航海時代が開始されたのは、なぜか、という点です。

■1)イベリア半島と二つの海
 西欧世界で、地中海と大西洋の両方に面しているのは、今も当時も、スペイン(イスパニア王国)とフランス(フランス王国)だけです。ポルトガル王国は「ヘラクレスの柱」(ジブラルタル海峡のこと)の外側ですが、イベリア半島にあった、ポルトガル・カスティリャ・アラゴンの諸王国は、合邦したり同君連合だったりで、歴史的、地勢的には同一地域とみなせます。
 中世末期、経済的にも文明的にも西洋世界をリードしていたイタリア都市国家群は、選択の余地なく地中海(アドリア海)勢力でしたし、後に世界を席巻するアルプス以北の北西ヨーロッパ(蘭・仏・英・独)は大西洋(あるいは北海)勢力でした。
 そして、ほぼ中世の時代に文明の先端を行っていたのは、東地中海世界、イスラム世界、中華世界でした。高文明に隣接し、それに憧れながら、進出する先は大西洋しかない、という地勢は、イベリア半島勢力だけでした。

1951
※画像をクリックすれば、鮮明な拡大画像が出てきます。

■2)イスラム文明の継受
 文明は高きから低きに流れます。模倣(ミメーシス)によって。日本列島の文明化の過程など、世界史的モデルケースです。
 中世期、地中海世界において高文明圏はイスラムでしたから、中世西欧人の文明化の度合いもイスラム世界への遠近に相関しました。そして、遠く、インドや東南アジア、中華世界の憧れの物産も、中世西欧人にはイスラム商人経由でしか入手できませんでした。
 外洋に乗り出すために必要なものは、地理学的知識、航海術、外洋航海に耐える船舶です。やはりこれらで先進的だったのは東地中海のイスラム世界でした。
 帆船のイノベーションで重要な縦帆(風上にも進める、ヨットの原理)は、イスラム商人に普及していた三角形のラテン帆からのものです。イタリア半島の都市国家勢力も、商売相手の船舶を知っていましたが、彼らが、貿易船や軍艦に専ら使ったのは、大型の奴隷手漕ぎボートであるガレー船でした。1571年のレパントの海戦でさえ、神聖同盟、オスマン帝国の両軍ともガレー船の突撃と敵船に乗り込んでの白兵戦でした。
 なぜイタリア諸都市は帆船を使わなかったのでしょうか。それはガレー船で、それまでの交易も海戦も用が足りていたからです。彼らの商圏は地中海であり、地中海で十分な利益をあげていたので、大西洋のような外洋航海にメリットがありませんでした。沿岸航法と船乗りが難所、風向、等(古代から)熟知している地中海では、大型帆船の出番はありません。戦争や債務による奴隷の供給も十分にあった(=漕ぎ手を低コストで調達できた)、という中世地中海特有の条件もあるでしょう。
 大洋では陸地が見えません。従って、自分の船のナビゲートをする道具が必要です。コンパス(方位磁石)は中華文明の北宋で12世紀に実用化され、イスラム経由で14世紀初頭イタリアに伝わっています。緯度を測定するアストロラーベ(のちの六分儀や八分儀に相当)の、現存最古の実物はグリニッジ海洋博物館に所蔵されている10世紀イスラム製です。

■3)レコンキスタとモサラベ(アラブ化したキリスト教徒)・コンベルソ(ユダヤ教徒からのキリスト教改宗者)
 レコンキスタはポルトガル王国がイスパニア王国(1492年)より先に完了(1249年)しています。イベリア半島をイスラム勢力は「アル・アンダルス」と呼び、スペイン南部のアンダルシア地方の語源ともなっています。
 イベリア半島における「アル・アンダルス」の時代は、前後8世紀間に及んでいます。最盛期は、後ウマイヤ朝時代(756-1031)で、首都コルドバは、東のバグダードとコンスタンティノープルに肩を並べる繁栄と威勢の極に達しました。例えば、メスキータ(中央モスク)は収容能力2万5000人、郊外のメディーナ・アルサフラ宮殿は大理石造り、廷臣2万人、宮廷図書館の蔵書は40万冊に達しました。
 商工業、学芸で活躍したのは、モサラベ、そしてイスラムの寛容な宗教政策に惹かれて、北アフリカからやってきたユダヤ教徒でした。マージナル・マン(marginal man)としてのこれらの人々は、イベリア半島におけるレコンキスタの渦中で、厳しさを増すイスパニア王国からポルトガル王国にその一部が流出し、ポルトガル王室と結びついて、ポルトガルの大航海時代の繁栄に貢献することになります。コロンブスのスポンサーになったイザベル女王(カスティリャ/イスパニア女王)の周辺には、知恵袋としてコンベルソが多くいました。

 以上、こういったイベリア半島ならではの特殊条件の重なり(M.Weberの言う選択的親和性〔Wahlverwandtschaften (Elective Affinities) 〕)が、結果的に、他の西洋諸勢力ではなく、イベリア半島の2王国を大西洋に押し出した強い要因といえるでしょう。

※参照弊ブログ記事  中世ナバール王国の貴公子ザビエル(Xavier): 本に溺れたい

■それにしても、なぜ大航海?
 西洋人の《香辛料》を求める異様な情念にはいささか、釈然としないものを感じます。これには、黒死病(1347年、コンスタンティノープルから地中海各地に広がったペストの流行で、1351年頃まで大流行)による、人口の1/4減少(一つの推計値、総人口約1億、死者2500万程度)と、ローマ・カトリック教会の権威失墜(大シスマ schisma1378~1417年:三人の教皇の鼎立)、という二大事件を通じて、身分の高低や篤信の有無と無関係に人間を襲う「死」に対する恐怖とそれに対するキリスト教の無力さへの諦念が、薬としての《香辛料》を求める底なしの需要を生み出した、と考えられるかも知れません。そうであれば、ハイリスク・ハイリターンというにはあまりにも無謀な大航海への情念も理解できる気がしています。

※上記、地図は下記サイト様よりお借りしました。
1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島

 

平川 新『戦国日本と大航海時代―秀吉・家康・政宗の外交戦略』中公新書(2018/04)

※ご参照
〔1〕
〔2〕
〔3〕
〔4/結〕
〔補遺〕

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