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2020年1月 2日 (木)

夏目漱石『こころ』1914年岩波書店〔補遺〕

 漱石の『こころ』は、結局のところ、作品として私の「こころ」を打つことはありませんでした。それにも関わらず、忘れがたい章句があります。


◆戦慄とともに忘れがたい章句

「かつては其人の膝に跪ひざまづいたといふ記憶が、今度は其人の頭の上に足を載せさせようとするのです。」復刻版p.55、「先生と私」より

「私は死ぬ前にたつた一人で好いから、他ひとを信用して死にたいと思つてゐる。あなたは其たつた一人になれますか。なつて呉れますか。」復刻版pp.123-4、「先生と私」より

「…。あなたが無遠慮に私の腹の中から、或生きたものを捕つらまへようといふ決心を見せたからです。私の心臓を立割つて、温かく流れる血潮を啜らうとしたからです。…。私は今自分で自分の心臓を破つて、其血をあなたの顔に浴せかけようとしてゐるのです。私の鼓動が停まつた時、あなたの胸に新しい命が宿る事が出來るなら満足です。」復刻版p.228、「先生と遺書」より

「私は自分の品格を重んじなければならないといふ教育から來た自尊心と、現に其自尊心を裏切りしてゐる物欲しさうな顔附きとを、同時に彼等の前に示すのです。」復刻版p.281、「先生と遺書」より

「要するに私は正直な路を歩くつもりで、つい足を滑らした馬鹿ものでした。もしくは狡猾な男でした。さうして其處に氣のついてゐるものは、今の所ただ天と私の心だけだつたのです。然し立ち直つて、もう一歩前へ踏み出さうとするには、今滑つた事を是非周圍の人に知られなければならない窮境に陥つたのです。私は飽くまで滑つた事を隠したがりました。同時に、何うしても前へ出ずには居られなかつたのです。私は此間に挟まつてまた立ち竦みました。」復刻版pp.400-1、「先生と遺書」より

「事件が起つてからそれまで泣く事を忘れてゐた私は、其時漸く悲しい氣分に誘はれる事が出來たのです。私の胸はその悲しさのために、何の位寛ろいだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤ひを與へてくれたものは其時の悲しさでした。」復刻版pp.413、「先生と遺書」より

「他ひとに愛想を盡かした私は、自分にも愛想を盡かして動けなくなつたのです。」復刻版pp.422、「先生と遺書」より


◆まさにこれは、という章句もあります。

「私は坐つた儘腰を浮かした時の落ち附かない氣分で、又三四日を過した。」復刻版p.182、「兩親と私」より

「私は冷かな頭で新しい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きてゐると信じてゐます。」復刻版p.251、「先生と遺書」より

「自分の心が自分の坐つてゐる所に、ちやんと落付いてゐるやうな氣にもなれました。」復刻版p.267、「先生と遺書」

「つまり私は極めて高尚な愛の理論家だつたのです。同時に最も迂遠な愛の実際家だつたのです。」復刻版p.351、「先生と遺書」より

「奥さんと御嬢さんの言語動作を觀察して、二人の心が果して其處に現れてゐる通りなのだらうかと疑つても見ました。さうして人間の胸の中に装置された複雑な機械が、時計の針のやうに、明瞭に僞りなく、盤上の數字を指し得るものだらうかと考へました。」復刻版p.369、「先生と遺書」より

「私は彼自身の手から彼の保管してゐる要塞の地圖を受取つて、彼の眼の前でゆつくりそれを眺める事が出來たも同じでした。」復刻版p.376、「先生と遺書」より

「私は何うかしなければならないと思ひました。同時にもう何うする事も出來ないのだと思ひました。」復刻版p.408、「先生と遺書」より

「女には大きな人道の立場から來る愛情よりも、多少義理をはづれても自分丈に集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いやうに思われますから。」復刻版p.428、「先生と遺書」より

「妻はある時、男の心と女の心とは何うしてもぴたりと一つになれないものだらうかと云ひました。」復刻版p.428、「先生と遺書」より


◆これは明らかに漱石のマゾヒズム

「私は其感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいと迄思つた事もあります、斯うした階段を段段経過して行くうちに、人に鞭うたれるよりも、自分で自分を鞭うつ可きだという気になります。」復刻版p.429、「先生と遺書」より

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