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2020年5月10日 (日)

「理性の酩酊」

 僕は、高校生以来、幾度となく三島由紀夫『文章読本』1959年(中公文庫1995年)を読み返してきた。時折、何かの拍子に、脳裏を過(よぎ)るのは、「理性の酩酊」という、三島の泉鏡花評だ。

「理性の酩酊」と私が言うのは、言語芸術である以上、われわれは言葉を通して、言葉を媒介にして感覚に落ち込むほかはないので、いずれは理性の作用に頼っているからでもありますが、鏡花の文体はこのような理性が、理性自体でたどり得る最高の陶酔を与えてくれると言っても過言ではありますまい。(1995年、p.57)

 僕は三島の小説はほとんど読んだことがないし、本書が漱石や荷風、藤村を一顧だにしないのは少し惜しいやら、むしろ三島からすれば当然なのかもしれないが、この『文章読本』が現在望み得る最高の、気品と格調を体現した「日本文学小史」であることは僕にとって否定しようがない真実だ。

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