塩沢由典『増補 複雑系経済学入門』2020年5月ちくま学芸文庫(3)
(2)より
◆書評2 「天上の科学」から「地上の科学」へ
本節では、「第2部 科学知のパラダイム転換」を論評します。
ここは、いったん「経済学」から離れて、諸科学、とりわけ物理学、数学といった数理科学の半世紀ほどの変化を概観することで、「複雑系経済学」の相対的位置を見定めようというセクションです。
ただ、射程そのものはニュートン以来の近代物理学史もその視野に入っていますので、簡潔な近代科学史入門編でもあります。科学史、科学哲学、といった方面に馴染みのない方にはこの「第2部」を一通り眼を通しておくことは、有益であると思います。ここ数年間は、「シンギュラリティ」やら「AI」やらを無闇に叫びまわる「時の人」がそこら中に跋扈していました。さすがに現今のコロナ騒動でその手の連中はどうやら身を潜めているようです。そういったある種の、techno-cult(科学技術オカルト?)に騙されないためにも必要な市民常識ではないかと愚考します。
◆◆第4章複雑系科学の広がり
注目すべき点は、複雑系科学には二つの流れがあるという指摘です。著者は、複雑系の話題の日本のマスコミの取り扱いでは、米国サンタフェ研究所にそのソースが偏っていることに注意を喚起した上で、欧州での「複雑系」研究の厚い伝統を改めて強調しています。また、米国においてもサンタフェ研究所以前に、ウィーナー(Norbert Wiener、サイバネティックス)、ウィーヴァー(Warren Weaver、第5章で改めて議論)といった人々によって既に1950年代には明確な先鞭がつけられている、との指摘がさらに重要です。
ここで思い出すのは、故渡辺慧です。私の勝手な評価では、渡辺は恐らく近代日本が生んだ最も独創的な科学者(科学哲学者)なのですが、彼は1950年代には米国IBMワトソン研究所を振り出しに活躍を始めていて、上記ウィーナーやウィーヴァーと極めて近い位置にいた人物です。とりわけウィーナーとの交流は周知であり、彼の20世紀科学のマニュフェスト『サイバネティクス』第二版(1961年)にその研究が引かれている唯一の日本人科学者です。
従いまして、当時、全く新しい情報科学の勃興の現場に居合わせ、自らも重要な貢献をなしつつあった渡辺が、「複雑さ」に関心やら研究を残していなさそうなのが些か解せません。自分の知的関心に忠実で異分野を軽快に越境する渡辺の知的体質を考慮すると余計にその感を深くします。恐らく渡辺の若き日の出発点が核物理学、量子力学だったことが影響していて、彼にとって「複雑さ」は、統計力学で扱われる分子や原子のような巨大な(無限と見做しても可であるような)数の集団において発生し、そこに部分的に成立する「秩序」はエントロピー減少系として考察する、というアプローチが、渡辺の基本戦略だったからではないか、と推測します。また、彼の強みでもある論理的 rigorism も影響していたかも知れませんが、常に「複雑さ」のすぐ隣で仕事をしていた故渡辺に彼自身の「複雑さ」に対する考察を聞きたかった気がします。計算機科学の魁の一人でもあった渡辺なので、彼の業績に「計算の複雑さ」の理論、「計算量の理論」に関する議論があるなら、そこに「複雑さ」に関する渡辺の考察が含まれている可能性はありますが。
モンペリエ・シンポジウムにおけるゼレニー報告での、スマッツ(Smuts, Jan Christiaan)とボグダーノフ(Bogdanov, Aleksandr Aleksandrovich / Александр Александрович Богданов)の仕事の紹介も私には興味深いものでした。二人の仕事は、時期的には第一次世界大戦直前にあたります。トゥールミン(Toulmin, Stephen)の「近代の二つの起源」との関連も気になります。また、日本における「複雑系」研究が欧米からの輸入の学問ではなく、土着のものであり、自然発生したものだ(p.144)という指摘も、今後、20世紀の科学思想史を検討するうえで、重要性を増すものとなるでしょう。
◆◆第5章ニュートンとラプラスを超えて
この章で、重要な貢献は、ウィーヴァー(Warren Weaver, 1894-1978)の記念碑的な論文※(著者は"四八年宣言"と呼んでいます)にフォーカスを当てて、紹介したことです。
※弊ブログでも、ネット上に公開され、D/L可能な原論文をご紹介しました。
Warren Weaver, Science and complexity, 1948 : 本に溺れたい
著者は、下記のウィーヴァーの科学の三区分を取り上げ、その意義を解説します。
①単純さの問題(Problems of Simplicity)
②組織されない複雑さの問題(Problems of Disorganized Complexity)
③組織された複雑さの問題(Problems of Organized Complexity)
解説のポイントは、①とその背景の「決定論的/ニュートン力学的世界観」、②とその背景の「確率論的/統計力学的世界観」、との対照性において③を際立たせることです。③の特質は「関係する要素数で数えて比較的規模が大きく、かつそれらのあいだの相互作用の無視できない」(本書p.170)世界を取り扱うことです。著者は、ウィーヴァーの議論を、①と②は二十世紀の前半までに偉大な達成を遂げたけれども、それだけでは扱えない、あるいは解明できない③がある、と引いています。
ここで疑問です。①と②は全く異なる世界観を有しています。そのため、アインシュタインは「自然はサイコロを振らない」と終生、量子力学(統計力学)的世界観に不寛容でした。しかしながら、ウィーヴァーの三区分でいえば、①と②は、③と比較すると同じカテゴリーに属することになります。著者の「否定神学」的表現を流用すると、③は、①でも②でもない、という意味で同類なのです。これはどう理解したらよいでしょうか。
この件に関するコメントは、本章よりむしろ次の「第6章新しい数学的自然像」で書いた方がより適切かもしれませんが、忘れないうちにこちらに残しておきます。
それは①も②も「無限(あるいは人間的レベルからすれば、ほぼ無限)」の世界を扱うという点です。では、それに対して③の世界は、と言えば、「有限」の世界となるでしょう。一つ引用します
「有限の問題は多くの場合無限の問題よりもはるかにむずかしく、いかに手強いかをいやというほど教えてくれる。」
竹内外史『PとNP―計算量の根本問題』1996年日本評論社、まえがき p.v
おそらく、上記引用中の、「有限」を「地上」に、「無限」を「天上」に、「問題」を「物理学」に置き換えても、有効でしょう。弊ブログで繰り返し引用させて頂いているので誠に恐縮ですが、再び次を引用します。
「蛾やハエが空中で静止したり、急旋回したりするのはなぜなのか。どんな優れた安定性制御システムを備えた飛行機でも一旦失速すると直ちに墜落してしまうが、昆虫が突風の中を悠々と飛び抜けて決して墜ちないのはなぜなのか。我々は、空気力学のさまざま理論を蓄積し、ジャンボジェット機やステルス戦闘機を、統一された「定常理論」に基づいて、設計できるようになった。だが毎秒20 ~ 600回も羽ばたく昆虫の羽がなぜ自重の2倍も以上の揚力を発生できるかについては、いまだに多くの疑問が残っており、理路整然と説明できる理論がないと言っても過言ではない。」
劉 浩「生物飛行のシミュレーションと小型飛翔体」 - 日本流体力学会(2005/01)
◆◆第6章新しい数学的自然像
この章はまず、1970年代以降、カタストロフィ理論、ファジー理論、フラクタル理論、カオス理論等、幾度もあった数理科学の流行モードを一瞥します。その中から、カオス研究の進展により、そのストレンジ・アトラクターの構造がフラクタル構造をしていることが判明し、フラクタル構造の物理的解析からその生成則として冪(べき)法則が発見されるという一連の動きがあり、そこから、かつては独立した研究領域の背後に、ひとつの共通した自然像が誕生しつつあることを指摘します。したがって、「複雑系」の学問の興隆は、これまであった数理科学の流行現象とは異なり、新しい自然像と密接な関係を持つと著者は語ります。より具体的には、カオス、フラクタル、自己相似性、ベキ法則、自己組織臨界、といったことが関連し、それを統一する視点として複雑系が使用され、物性物理学では既に一つの自然像であると述べます。
ここで、さらに、数学の「計算量の理論」、人工知能研究における「フレーム問題」、「記号系仮説」とブルックスの「物理基盤仮説」、ギブソンの「アフォーダンス理論」と話題をすすめ、こういった一連の問題の根源は、「人間の記号処理能力の限界」にあり、それが「複雑さ」の第二の側面であり、と同時に複雑系研究が本質的パラダイム転換であることが帰結されます。
換言すると、世界の「複雑さ」の起源は、人間の認識能力や計算能力そのものの限界にあり、そういった人間が「複雑さ」をどうしたら理解できるのか、どう攻略すれば真に複雑な対象に迫れるのか、を複雑系研究は問題にしているのであり、これは科学研究がかつてぶつかったことのない質の問題であって、だからこそ複雑系研究によって、科学がパラダイム転換を迫られているのだ、と著者は結論します(pp.202-3)。
次に、複雑系の観点が経済学にもたらす課題として、「複雑さの三つの様相」(p.204)を掲げます。
①対象の複雑さ
システム自身が大規模で、全体としてどうなっているか分析が困難であること。
②主体にとっての複雑さ
システムの構成単位(人間/ロボット/動物、etc.)が外界の状況を判断して行動するときに問題になる複雑さであり、その複雑さは判断主体の情報(記号)処理能力の上限と関連し、物理系の科学ではそれは問題にならないが、判断主体が内在するシステムでは、その行動を左右する与件となり、「複雑さ」は実在の条件となる。「当事者にとって」(廣松渉)の複雑さ。
③認識における複雑さ
人間の理解能力との関連で問題となる複雑さであり、②が行動主体にとっての複雑さとすると、③は学問行為するわれわれにとっての複雑さ。「学知者にとって」(廣松渉)の複雑さ。
次いで、「複雑さの三つの様相」に従って、複雑系経済学の三つの研究領域を設定します。
① → 市場経済は、自律分散システム(自律分散制御系)の代表例である(複雑系のシステム解析)
② → 視野や合理性の限界を持つ人間が複雑な環境においてどのような行動をしているか(システム内当事者の行動準則の解析)
③ → 対象理解のための認識装置である「理論」そのものも、複雑な展開となる(複雑系としての科学史研究、あるいは経済学説史)
こうして、経済学がこれまで諸科学の成果を取り込むことに意を注いできたのに対して、これからはむしろ、複雑系経済学は「複雑さ」の考察において諸科学に特別な貢献ができる、とこの章を結びます。
次回に続く
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