関 曠野『プラトンと資本主義』1982年、の評価について
では、私の、関 曠野『プラトンと資本主義』1982年、に関する現在の評価を書きます。
1)関 曠野「プラトンと資本主義」の評価の分岐点
関 曠野は、自分の「プラトンと資本主義」を Max Weber の「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に、もう一つの仮説を付加しただけだ、と言っています。
皆さんは Weber の上記資本主義論をどう評価しますか。Weberの資本主義論は百年前の代物です。21世紀の今でも、ひどい毀誉褒貶に晒されています。いまでも説得力を感じている論者もいれば、なんの根拠もない絵空事で無価値、と言下に切り捨てる論者もいます。もし皆さんが後者ならば、当然、Weber仮説のうえに構築された関仮説も無価値です。
逆に、Weber仮説に意義を認めるなら、
関の仮説Ⅰ.
中世のローマ教会・修道院システム(西方キリスト教体制)が、意図はしていないが結果的に古代ローマ帝国の国制を再生させたものである
関の仮説Ⅱ.
古代ローマ帝国の国制は、ギリシアのポリス社会で否定され無視されたプラトンのルサンチマンとしての、プラトニズム・プログラムをローマ国制として現実化したものである
、という二段階の関仮説を認めるかどうかが、評価の分岐点になります。
2)私の「プラトンと資本主義」評価
私は、Weber仮説にも関仮説にも意義を認めます。ただし、それは「系譜論」として。西欧世界が歴史的に継受した resources の一つとしてプラトンの巨大な遺産があった、という点です。現代資本主義は様々な部品から構成されたシステムで、その中にプラトン起源の中核的部品も確かにある、ということです。
しかしながら、それは現代資本主義が作動する(している)必要条件ではあっても十分条件ではありません。現代資本主義を現代資本主義として機能させているものは、プラトンの遺産の他にも、他の資源が必要だ。だから、その側面からのアプローチがあって十全な現代資本主義の解析ができ、次世代への処方箋が書ける。そう考えます。
3)関 曠野が Weber に付け加えたもの
関 曠野が Weber仮説に付加したものは、明示的ではありませんが、もう一つあります。フロイト理論、あるいは精神分析理論です。実は、Max Weber 自身が「プロテスタンティズムの倫理」と「資本主義の精神」をリンケージできたのも、無自覚的ですが精神分析的アプローチによります。このアプローチが如何に効果的かは、Weberの一連の宗教社会学の達成がよく示しています。
現代のインテリには、大きく分けて、「精神分析」に説得力を感じるタイプと、「精神分析」に何の reality も感じず、それを荒唐無稽の「お話 fiction」と切り捨て一顧だにしないタイプがいます。
従いまして、Weber仮説に魅力を感じる一群の人々と「精神分析」を知の方法論として重視する人々は重なります。その逆もまた同じです。
関 曠野が敢行したのは、Max Weber が自己治癒として実行したプロテスタンティズムへの精神分析を、プラトンと、その著作を通じてソクラテスにも実行したことです。これは、西欧人インテリにも、西欧化した日本人インテリにもなし得なかったことです。なぜならそれは自己を精神分析にかけることだからです。ニーチェはそれを狂気と正気の狭間でやったのでしょう。それをやり果せたという点で、関 曠野は「天才」(他のインテリにとっては「天災」)と言ってよいのだろうと私は思います。
関 曠野にたいする、毀誉褒貶、拒絶反応も、3)の消息と共振している可能性があります。
最後に、元哲学研究者からの、本書(関 曠野『プラトンと資本主義』1982年北斗出版)への評価を参考までにご紹介し、リンクを添付致します。
関曠野さんから学ぶ : プラトンと資本主義 (1982年)
上記サイト記事の最後にある一節。
善(=聖人ソクラテス)vs 悪(=相対主義者プロタゴラス)として語られがちな図式に洗脳され、かつて哲学の研究者を志していたブログ主としては、著者の新鮮な問題提起に大いに喚起された。そして、プラトンが敷き詰めたとされるアカデミズムの窮屈さと将来性のなさのためにうつ病を患ったブログ主は、著者に洗脳を解いてもらうと同時に、かつての心の傷も癒えゆくようである。
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