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2020年8月31日 (月)

関 曠野が言うところのプラトニズムとはなにか?

 前回の投稿にからんで、関 曠野の「プラトニズム」というのは、イタリアの Ficino を中心とする neoplatonismo や17C後半の Cambridge Platonists と関連があるか?、という質問をうけました。その応答を書きます。

 関 曠野が言うところのプラトニズムとは、プラトンの対話編「法制」で書き残した、理想国のための国家プログラムのことです。ルネサンス期に復活する、15Cイタリアのフィチーノを中心とするneoplatonismoや17C後半のCambridge Platonists のことではありません。

 また、「中世キリスト教を支配したネオプラトニズム」ですが、中世スコラ学はアリストテレス主義ですから(トミズムが典型的)、中世の西方キリスト教共同体の公認イデオロギーはアリストテレス主義で、プラトン主義(プラトニズム)は、むしろ異教扱いでした。1453年「ローマ帝国(ビザンツ帝国)」の滅亡に伴って、コンスタンティノープルの多数の学者が西地中海世界にディアスポラし、改めて西方キリスト教世界にプラトンのテキスト、およびプラトニズムが流入し、neoplatonismo やそこから派生した Cambridge Platonists が出ます。

 では、中世の西方キリスト教共同体は、古代ローマ帝国からプラトニズムを継受していないのか?

 イデオロギーとしてではなく、プラトニズムを体化した「国制」、具体的には、ローマ法から変異した教会法、教会位階制(hierarchyは元来、天使の位階制のことです)、教皇指導制、軍隊、等。こういった形で、事実上、西方キリスト教世界の骨格は、プラトンの「法制」プログラムで構築されました。中世欧州人が自覚していなくとも。

追記します。

 プラトンが言う、対話編「饗宴」などの eros は、「自己に欠けたものへの欲求」とか「欠如するもの,欠如する善美への獲得衝動に発する地上的な営み」というのが古典学界の共通了解のようです。
 neoplatonismo の Ficino における eros は、むしろ「美を享受しようとする欲求」ということなので、プラトンの eros の方が屈折しているように感じます。

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