「縁」と社会/ Nidana [fate] and society
承前
「数奇な」とは、まさにこのことなのでしょう。他所さまのブログのそれもコメント欄を介して、大事な言葉が(それと知れずに)託されていたことに気付くとは・・。この交流の場を提供して頂いているブログ主である関良基氏、西村玲氏へ導いて頂いた睡り葦氏、そしてこの「縁」を作ってくれていた故西村玲氏に感謝いたします。
素晴らしい知的貢献が社会に向けてあと何十年もできたはずの、若く有為な方が「自死」を思い詰めてしまう社会。
個人と社会、どちらが有責か。もし個人が有責でないなら、社会が有責に決まっています。そして、当然有責であるほうを変えるべきです。
では、社会は変えられるのか。大丈夫です。変えられます。なぜなら、「ぼくらがそれをいま考えている」のだから、と熱烈な法華信徒・宮沢賢治は86年前に明言しています。『ポラーノの広場』1934年。下記参照。
「ぼくはきっとできるとおもう。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから(宮沢賢治): 本に溺れたい」
また、「不正なる統治者の不正な統治に有効に対抗するために必要なものは『力 force』ではなく、実は、被治者の代替的な『意見 opinion』なのである」とは、約300年前のDavid Humeの言です。下記参照。
「David Hume からの問い: 本に溺れたい」
他者と提携、合力しつつ、自分のできることをやり続けてみる、ということなのだと思います。
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