幕末維新テロリズムの祖型としての徂徠学(2)/ Ogyu Sorai as the prototype of the Meiji Restoration terrorism
栗原隆一『斬奸状』昭和50年11月學藝書林刊
全部で約二百件の「斬奸状」が翻刻されたうえで、本書に収録されています。ちなみに、(1)で参照を求めました、関良基「江戸末期の暗殺と明治の弾圧の言説分析」(2019)論文は、この本の収録文書が分析の対象とされています。
本書の解説pp.383-4に、著者栗原隆一氏が個人的に収集された斬奸状の数値データが記載されていて、強く興味がひかれます。そこには数値データのみ掲載されていましたので、このデータをグラフ化しておきました。下記です(マウスポインタを当てて頂ければ、別ウィンドーが開き、大きく鮮明な折れ線グラフが読めます)。
◆「斬奸状」に見るテロリズムの盛衰
このグラフからすぐに読み取れることは、大小二つのピークです。最大のピークは文久3年(1863)76件、二つめのピークは明治元年(慶応4年、1868)23件です。文久2年(1862)19件で、その前年文久元年(1861)2件、明治2年(1869)2件ですから、文久2年(1862)と明治元年(1868)に挟まれた7年間(182件)は、大河ドラマや歴史小説では、血沸き心躍る、「自由」で「颯爽」とした英雄たちが活躍する時代ですが、その実態は、京都、江戸という大都会では、平均して半月に一度はテロという政治的殺人が横行する殺伐とした時代だった訳です。確かに、維新の英傑たちは同時に政敵を冷酷に殺してまわるテロリストでもありました。そんな馬鹿なとお考えの方は、関良基氏の一連の近著*を読まれることを強く勧めます。英傑、偉人と言われた人物、のちの明治顕官たちがこの頃どのような所業をしていたかが、日記、伝記から詳らかにされています。
*関良基『赤松小三郎ともう一つの明治維新』2016作品社、同著「江戸末期の暗殺と明治の弾圧の言説分析」2019、関良基『日本を開国させた男、松平忠固』2020作品社
ここまでで「幕末維新」が流血と暴力が日常の、アナーキーな時代だったことは、ある程度推測できたと思います。問題は、このテロリズムが徳川中期の荻生徂徠の思想とどう繋がるか、です。
◆荻生徂徠は《儒家》ではない
荻生徂徠は徳川日本における最も独創的な儒学思想家(中国語では儒家)と常識的には見なされています。そうであるかどうかは、《儒家》の内容、定義によります。
儒家の基本は、「修身、斉家、治国、平天下」(礼記-大学篇)です。必ず個人から出発して社会に至ります。社会/国家が統治されるためには、まず個人が倫理的、道徳的に正しい行いをすることが全ての出発点となります。ミクロ(個人)から出発してマクロ(社会)議論を構成します。
一方、徂徠はいきなり「国家・社会」から出発します。そして個人は国家社会の君主の操作対象に過ぎません。徂徠の志向はいつでも「国家・社会」をどのように統御(control)するか、にあります。儒家は基本的に個人の行動を問題とする《倫理学》であり、徂徠の学は国家社会を上手に制御するための《社会工学 social engineering》ですから、個人に道徳/倫理を問う必要はありません。徂徠の terminology は儒家テキストがメインですが、彼の 方法論 はむしろ、荀子、韓非子のような法家にあり、彼の sympathy も実はそっちよりにあります。
ということで、荻生徂徠はその mentality も方法論も、実は儒家と正反対のところにあり、「社会科学」的、「社会工学」的であり、その意味で革新的ですが、個人に道徳や倫理を要求しないという意味で、非-道徳的であり、徹底して非-儒家的な思想、方法論的な学者/思想家としか言いようがありません。丸山真男は徂徠における政治と道徳の分離を「近代性」や「科学性」のメルクマールとしましたが、それは一方で、非-儒家性のメルクマールでもあったことになるでしょう。議論が途中になりますが、非-儒家としての荻生徂徠については(3)に続くことにします。
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