「白い帝国主義」と epistēmē
下記の記事が、The Times(日曜版)の2021年3月28日に掲載されました。有料記事なので、ネットからではそのさわりしか読めません。私は、2)の日本語サイト記事から知りました。
1)French philosopher Michel Foucault ‘abused boys in Tunisia’ | World | The Sunday Times
2)20世紀の知の巨人フーコーに小児性愛と白い帝国主義者の疑惑:日経ビジネス電子版
2)は、無料登録会員になれば、この記事を読むことができます。この日本語記事の筆者は、マグレブ研究者の保坂修司氏です。保坂氏自身は、ほとんどフーコーを読んだことがないとのですが、マグレブ研究者として見過ごせないということで取り上げたようです。
詳細は、保坂氏記事をお読み頂ければ宜しいでしょう。「白い帝国主義」は抜き難く、西欧人、西欧知識人には潜在します。私の尊師の一人である、聖Max Weberであってもそれは免れ難いと思わざるを得ません。それはどうしようもなく、彼らの「学知的認識枠組み epistēmē」を浸潤しているという疑いを、非西欧人は持っておいた方が良い。なぜなら、その枠組みは非西欧人が近代高等教育機関(=大学等)で一旦は学ばざるを得ない「学問」そのもののことですから。
だからといって、「国学」的なものや、清代「考証学」的なものに乗り換えることもできないでしょう。「白い帝国主義」に方法的(構成的)気付くことさえも、西欧人たちの知的資源に負っていますから。徂徠ー宣長という徳川日本のエピステーメー革命は、「気付き」はしましたが、それを「方法的(構成的)」な知的資源として、利用可能(available)な道具にまではしてくれていません。したがいまして、セルフコントロールする術がなく、自分が指摘する陥穽に自ら落ち込むことになります。こういう「方法的(構成的)」な知的力業は、西欧人は得意なようなので、我々非西欧人は、知的資源として使わせて頂くにしくはない、と思います。
カントやフーコーが自覚なき「白い帝国主義」者と承知したうえで、「使える」か「捨てる」かを局面ごとに判断するのがいいのだろう、と考えます。私は、恥ずかしながらカントやフーコー、デリダといった思想書は碌に読んだことがありません。歴史関係か、理論的なものばかりです。今思えば、それは不幸中の幸いのようなものだったかも知れないと思ったりもします。
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コメント
付言します。上掲、2)のコメント欄で、フーコーを「擁護」する書き込みが散見されます。この人たちは想像力が致命的に欠如しているとしか思えません。その人たちに、10歳前後の娘/息子がいるとして、フーコーに「同意の上でならあなたのお子さんと性交してもいいですよね」と言われたらどう感じるのでしょうか。そんなこと許せる訳がありません。そんな人物は、一秒でも早く刑務所に放り込むか、徳川期のように「所払い」の刑に処するべき、と思うのではないでしょうか。少なくとも、(社会通念を法的に定着させた成人規定の)成年者と未成年者の性行為に関しては「人間の自由」の範疇外です。この憤慨は、フーコーの為してきた discourse とは一応別事だ、考えるべきでしょうが、「人情」的にはかなり困難を伴わざるを得ません。これが私の正直なところです。
投稿: renqing | 2021年4月15日 (木) 13時00分