「陰謀論」のラベリング効果(2) / The labeling effect of "conspiracy theories": 本に溺れたい
弊ブログ記事(1)に、現代日本で最も尖鋭な理論経済学者塩沢由典氏からコメントを頂きました。せっかくですので、塩沢氏のコメントを記事に組み込んで応答させて頂くことにします。
投稿: 塩沢由典 | 2021年9月27日 (月) 12時48分
いわゆる「陰謀論」に疑問をもつ立場の人達が、「陰謀論」という呼称を議論相手を攻撃するラベルとして使っていることを問題にしたものと思います。しかし、「陰謀論」の場合、それを唱える人達がある事象(ワクチン推奨・推進)は、だれだれあるいはある機関の陰謀だと考え主張している事態があります。そのとき、それらの主張者たちを「陰謀論」と呼ぶことには一定の妥当性があるのではないでしょうか。例として「アカ」と「共産主義」「共産党」をとってみましょう。日本ではまだ共産党をなのる政党が存在します。共産党は、おおくの場合、この党あるいは党の政策を支持する人たちを意味するのでしょうが、よりひろく社会のより強い連帯をもとめる思想についても使われます。「アカ」というのは、もっと曖昧に、共産党支持者に対しても、現社会に批判的な考え方すべてに使いうるラベルとしても、使われています。共産党を狭い意味で使うときには、正確な呼称です。それはラベリング効果を持っていますが、だからといって排除すべきではないでしょう。あらゆる言語表現はラベリングを含んでいます。言語表現がそうした抜けがたい性格をもつことをみとめながらも、より適切な使い方・表現に心がけるしか仕方ないのだと考えます。
あげあしをとるような議論になって恐縮ですが、「自分の頭で考える」というのも、ある種の決まり文句で、自分の思考が諸概念の体系に大きく方向付けられていることを忘れさせる効果をもっています。わたしたちは、むしろ、ただしいことば使いに心がけるべきではないでしょうか。それこそが、C.S.パースなどが目指したプラグマティクス(あるいはプラグマティシズム)だったと考えます。分析哲学や論理実証主義も、こうした運動のいちぶでした。20世紀の前半のこうした考えが色あせて、21世紀の今日、「陰謀論」やその他の自己強化的思考回路の中に閉じこもって抜け出せない人達が増えてきたのは、残念なことです。言語を適切に使うという思想運動はネットという新しい環境にまだ有効なものとなっていません。そうした新しい時代を背景としたことばを適切につかう運動(=哲学)がいま必要とされているように感じます。
塩沢先生、弊記事に応答頂きましてありがとうございます。徒然に書いた雑駁な内容であったのですが、問題発見的なコメントをつけて頂き、感謝いたします。
では、私の再応答を書きます。
「あらゆる言語表現はラベリングを含んでいます。言語表現がそうした抜けがたい性格をもつことをみとめながらも、より適切な使い方・表現に心がけるしか仕方ないのだと考えます。」
言葉のラベリング機能に関連して、想起するのは、塩沢先生の一書中の下記の文です。
「ものごとに名前をつけることは、名指しされたものに対する操作可能性を獲得する第一歩である。名前は、「観念に付けられたつまみ」」であり、それにより観念を操ることを容易にする。」塩沢由典著『複雑さの帰結』1997年NTT出版、p.52、(註13に、この表現は鶴見俊輔氏に負う、とある。)
弊記事では、言葉のラベリング機能を否定的文脈で語りましたが、人間行為として避け得ないのは、考察するオブジェクトへの記号的な操作可能性を向上させるものでもあるから、ということは付言する必要がありました。言葉が不足していました。私のグルの一人である Max Weber こそは、「行動的禁欲」「現世拒否」「選択的親和性」「対内/対外道徳」「対内/対外貨幣」等、こう言ったことに細心の注意を払った人物だったのに、私淑する弟子としては迂闊で忸怩たるものがあります。これはまた、《言葉》の発する《affordance》そのものとも言えるかも知れません。
「「自分の頭で考える」というのも、ある種の決まり文句で、自分の思考が諸概念の体系に大きく方向付けられていることを忘れさせる効果をもっています。」
ご指摘の通り、適切な表現ではなかったようです。せめて、「身軽に問い、打たれ強く考える/ Ask agile and think resilient」とするべきでした。
※20210929追記、トクヴィルのパラドックス/ Tocquebille's paradox: 本に溺れたい、参照
自分の頭でものを考えようとする人が、逆に、身の周りにいる自分と同じような他人の声に振り回されやすくなる。このことを、トクヴィルは矛盾とは考えなかった。あらゆる権威を否定する平等化時代の個人は、すべてを自分のうちに見出そうとする。しかしながら、自分のうちに絶対的なものがあるわけではない。結局、自分の頭で考えようとすればするほど、他人の影響を受けやすくなる。特定の個人の権威を認めないにもかかわらず、多数者の声に対してはひどく従順になることこそ、「トクヴィル的」とでも呼ぶべき状況であった。〔宇野重規『トクヴィル』講談社学術文庫2019年、p.207より引用〕
「わたしたちは、むしろ、ただしいことば使いに心がけるべきではないでしょうか。それこそが、C.S.パースなどが目指したプラグマティクス(あるいはプラグマティシズム)だったと考えます。分析哲学や論理実証主義も、こうした運動のいちぶでした。」
まさにおっしゃる通りだと思います。〈正しいことば遣い〉は、孔子も二千年前から語っていました。『論語』子路第十三‐3に、《正名》思想があります。《事物の実質を正確に認識する称呼(よび名)を保持すること》〔平凡社世界大百科事典〕です。
「20世紀の前半のこうした考えが色あせて、21世紀の今日、「陰謀論」やその他の自己強化的思考回路の中に閉じこもって抜け出せない人達が増えてきたのは、残念なことです。」
《自己強化的思考回路》とは昨今の言説を評する言葉としてまさに《正名》になっていると思います。そして、そうなってきたのには、心性史的、知性史的理由が何かあると考えるべきでしょう。ネットワーク上の言説空間の出現との正のフィードバック関係が疑われます。明確にまだ言えませんが。
「言語を適切に使うという思想運動はネットという新しい環境にまだ有効なものとなっていません。そうした新しい時代を背景としたことばを適切につかう運動(=哲学)がいま必要とされているように感じます。」
同感です。非常に大切なご提言です。ネットワーク上の言説空間における「正名」の思想。どう語ればよいのか、にわかには定めがたいですが、いよいよ切実な時期になってきたと私も考えます。
ブログ主renqing、こと上田悟司
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