小説「ジョゼと虎と魚たち」(田辺聖子/1984年)①
この短編小説を知ったのは、2020年に劇場公開されたアニメ「ジョゼと虎と魚たち」(監督:タムラコータロー)を通じてです。
※続編(②)を投稿しました。
◆1 アニメ「ジョゼと虎と魚たち」2020年
絵が綺麗な作品です。スタッフロールに田辺聖子原作とあり、少し驚きました。調べると、既に二度(2003年日本、2020年韓国)も実写化公開されています。そこでどれほどの小説なのだろうと原作に興味をもったのです。
生まれつき下肢が不自由な娘と青年の恋の物語です。私はあまり小説を読みませんので言いにくいのですが、車椅子生活の身障者がヒロインというのは、小説でも映画でも珍しいのではないかと思います。
半世紀も昔に、アメリカのテレビドラマで、車椅子の刑事をヒーローにした「鬼警部アイアンサイド/Ironside,1967-75」という刑事ものがありましたが、今思えば、このドラマ自体がかなり例外だったのだとわかります。
それだけに、どうしてもこの点に注目が集まりやすい。したがいまして、このアニメ化作品も文化庁の支援を受けた、健常者一般への啓蒙的なものになってしまったのは仕方のない部分もあります。
文化庁のお墨付きとなると、家族全員で安心して見ることができるものとなります。困難な人生を健気に生きるヒロイン、青年との出会いと恋、それらを乗り越える二人、のような図柄です。アニメはその路線でした。原作が短編で、長編アニメにするにはコンテンツ不足だったのでしょう。原作には無いあれこれの設定とエピソードをゴタゴタと付け加えられて、無難な(薄味の?)恋愛物語に仕立て上げられています。身障者の日常を健常者へ啓蒙するドラマ、としての役割は、十分に果たしました。私もこのアニメから原作にアクセスしたのですから、恩恵を被った一人としてお礼を言わねばなりません。
◆2 小説「ジョゼと虎と魚たち」1984年
田辺聖子の原作には、かなり強い毒とエロティシズム、そしてユーモアがあります。
毒とは、端的に言って人間の悪意です。
主人公のジョゼを気遣う祖母によって、ジョゼはなかなか外に出してもらえません。孫娘の車椅子の姿は、他者からの悪意を不可避的に誘発してしまうことを人生の折々から祖母は知っているのです。それでもジョゼは外に出たい。そのため仕方なく、祖母が夜の散歩に連れ出しています。或る晩、祖母がほんの少し、散歩の途中で眼を離している隙に、ゆるやかな勾配の坂の上に止めてあった車椅子が、勢いをつけてまっしぐらに滑り落ち始めます。それは、ジョゼが「人の気配」に気付いた瞬間でした。このままなら、どこかの壁に激突するか、道路に飛び出したところを自動車に車椅子ごと跳ね飛ばされるはずです。ジョゼが感じたのは、見知らぬ者の殺意でした。そのとき、幸運にもジョゼの前に大学生(恒夫)が現れ、ジョゼはいのちを拾います。それはまた、これまでジョゼと交わることのなかった「外の世界」との狭き門となります。
ジョゼは母親を知りません。赤ん坊のときに家を出てしまっていたからです。ジョゼが十四の時、父親が再婚した女は、車椅子つきで、さらに生理の始まったジョゼを、面倒くさがって施設へ入れてしまいます。ここにも人間の悪意というものが厳然として世界にあることを、作者は見逃していません。
大学生の恒夫はこの騒動以降、生活保護を受けている老女とその車椅子の孫娘の家を時々訪れます。ジョゼの車椅子を押す、今風に言えば、(ボランティアとも言えない)ボランティアが始まり、ジョゼの人生に外からの風が初めて吹き込むことになります。
しかし好事魔多し、卒業を控えた恒夫が就活であたふたし、女二人のこの家に顔を出せずにいた数ヶ月の間に、祖母が亡くなります。天涯孤独の身となったジョゼは、市役所の福祉課職員の世話で、近所のアパートに引越し、世間からさらに遠い生活を余儀なくされます。就職先が見つかり一息つけた恒夫は、久しぶりにジョゼを訪ね、祖母の死とジョゼの引越しを知ります。驚いて引っ越し先を探り当てると、路地奥のそのアパートの玄関先にビニールシートをかけた車椅子を発見します。
訪ねた恒夫がやつれたジョゼに様子を聞いた際、アパートの二階の住人である「気色の悪い」中年男がニタニタと「お乳さわらしてくれたら、なんでも用したる」とあからさまなセクハラをしかけてくることを淡々と話します。そして祖母を失ってからのジョゼが途方にくれ、怯えつつ隠れ暮らしていることを恒夫は改めて思い知らされます。「女」と「身体障害」と「貧困」という二重、三重の徴を持つジョゼには、当り前のように「男」が弱みにつけこんでくる。その「悪意」を、ここでも作者は小説の一節として拾い上げています。
青年はこの娘を深く哀れみ、心が疼きます。その場面、大阪弁の掛け合い、を少し抜き出してみます。
「めしはちゃんと食うとんのか、痩せてかわいそうに。顔、しなびとるやないか」
「あんた、アタイを哀れんでるのか、ゴハンぐらい食べとるデ。心配していらん!」
「また、来るわ」
「来ていらん!もう来んといて!」
「・・・ほな、・・・さいなら」
「なんで帰るのんや!アタイをこない怒らしたままで!」
「どないせえ、ちゅうねん」
「知らん!」
「クミちゃん」
「早よ帰り。早よ、帰りんかいな・・・。二度と来ていらん!」
〔ジョゼに過呼吸発作が出たのを心配して恒夫が近づくと〕
「帰ったらいやや」
「帰らんといて。もう、三十分でも居てて。テレビは売ったし、ラジオはこわれてしもたし、アタイ淋しかったんや・・・」
「何や。僕、テレビやラジオ代わりかいな」
「このラジオは返事するだけマシや」〔下図は、本ひろ子氏装画の1987年角川文庫初版カバー〕
上のジャケットが、2021年現在、ジョゼと虎と魚たち (角川文庫)
◆3 隠れた主題
市松人形の顔立ち、しかし「いざり」の娘の、隠花植物のような恋。これが表の物語ですが、「身体障害」という「不具」が彼女の「欠落感」の源ではありません。ジョゼを苛む出発点は、彼女が「親に見捨てられ」た娘である、という事実です。ジョゼは幼くして母親に見捨てられ、さらに父親の再婚を機に「邪魔もの」としてもう一度捨てられます。ジョゼが生まれてこの方《幸福》感を持てなかったのも当然です。さら
そのジョゼが恒夫との事実婚からようやく《幸福》を感じ始めます。しかし、ジョゼには「幸福」という言葉の持ち合わせがありません。そこで、作者は、《新婚旅行》がわりに観光地の水族館を訪れた夜更け、恒夫と布団にくるまったジョゼにこう呟かせます。
(アタイたちは死んでる。「死んだモン」になってる。)
(アタイたちはお魚や。「死んだモン」になった ― )
◆4 おわりに
私は、今回、この作品で初めて田辺聖子の小説を読みました。田辺が文化勲章(2008年度)受賞者なんてことは初耳でしたが、「ジョゼと虎と魚たち」という短編から、読むに値する作家である、思い直しました。一方、織田作之助『夫婦善哉』(1940年)がふと頭をよぎりました。
それにしても、短編集としての『ジョゼと虎と魚たち』は、表題作以外、仕事を持つ女たちの話で、「女の恋」の物語ではありますが、「娘の恋」ではありません。なんでこの短編集に、毛色の異なるこの作品が置かれているのか、そしてなぜ表題作とされているのか、私には謎のままです。
◆追記1
小説では、「親に捨てられ」、「自己を見失」った人間の「さすらい」や「快復」を主題とする物語が多くあります。日本人の《読むクスリ》である漱石の一連の小説は、漱石自身の自己治癒そのものです。映画では「伽倻子のために」(小栗康平監督/1984年)がすぐ思い出されます。近年、アニメにもよくみかけます。「魔法使いの嫁」(2017年)、「かくりよの宿飯」(2018年)、「ひげを剃る。そして女子高生を拾う。」(2021年)。どれも親に捨てられ(否定され)たヒロインが登場します。
このテーマに普遍性があるからなのか。それとも、日本人が常に求めているからか。《失われた自己を求めて》という標題で新記事を書けそうです。
◆追記2 (以下は、2022/03/31追記)
amazonのブックレビューで気付かされましたが、なぜ「魚」?、と言う点です。アンデルセン「人魚姫」が"本歌取り"となっていると思われます。車椅子のジョゼは陸に上がった"人魚"で、一歩もあるけない。彼女にとって"自由"ということは、恒夫とともに水の中に戻り、魚となって泳ぎ回ること、という幻視なのです。
◆追記3 (以下は、2022/08/1 追記)
ジョゼがその身に纏う、若い女、車椅子、貧困、身寄り無し、といった「弱さ」を、ヴァルネラビリティ(vulnerability 傷つきやすさ)と考えるなら、それはそのまま vulnerability (攻撃誘発性) として、親から二度捨てられたこと、坂道で誰かに車椅子を突き落とされたこと、初めての一人暮らしのアパートで、見知らぬ中年から当り前のようにセクハラを迫られたこと、等に直結していると考えられます。すなわち、この掌編小説に、意識的か否かに関わらず、田辺聖子によって描かれているものは、攻撃誘発性としてのヴァルネラビリティ、そのものです。
※攻撃誘発性としてのヴァルネラビリティ、については下記を参照して下さい。
攻撃誘発性としての vulnerability/ vulnerability as an attack provocation(PS 20230825): 本に溺れたい
※発表の翌年(1985年)、小川洋子の評がありました。
下記は、すべて集英社版田辺聖子全集16(2005年)解題p.570より
小川洋子「官能とユーモア」(小説現代、平成17年10月号)は、通常共存しにくい官能と死とユーモアを「すべてしなやかに受容」する作家として田辺聖子の名をあげ、「ジョゼと虎と魚たち」を論じている。主人公のジョゼは「あからさまな性の匂いは発揮しているように見える」が、それは「罠」で「か細く白い脚の奥に、生命のマグマを封じ込めた底なしの沼が潜んでいる」。「”アタイたちは死んだんや”(中略)ジョゼは幸福の極みが死である、と気づいたのだ」という。
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