佐野英二郎『バスラーの白い空から』1992年〔3〕
普段、文学とは遠い生活をしている私が、この素晴らしい文章と出会う奇縁を作ってくれたのが、たまさか目にした故須賀敦子氏の素敵な書評 (毎日新聞1992/12/15、本記事下記)でした。そのころの私は日本経済新聞を長く購読していたのですが、熱心(=執拗)な毎日新聞の勧誘に根負けし、三ヶ月だけ?購読することにしたのです。そんな嫌々ながらの偶然が、それから三十年もつき合う本を私にもたらせてくれるとは「神のみぞ知る」を地で行く、でしょうか。人生の下山途中にいる証には違いありません。
佐野英二郎『バスラーの白い空から』1992年〔1〕: 本に溺れたい
佐野英二郎『バスラーの白い空から』1992年〔2〕: 本に溺れたい
仕事のあと、電車の途中で降りて、都心の墓地を通りぬけて帰ることがある。春は花の下をくぐって、初冬のいまはすっかり葉を落とした枝のむこうに、ときに冴えわたる月をのぞんで、死者たちになぐさめられながら歩く。日によって小さかったり大きかったりするよろこびやかなしみの正確な尺度を、いまは清冽な客観性のなかで会得している彼らに、教えてもらいたい気持ちで墓地の道を歩く。
しずかな、あたたかい文章でつづられたこの小さな作品集を読んで、私は墓地の道を思い出した。師走の日々にとかくすさんだ心が慰められ、もしかしたら、来年はもうすこしやわらかい心をもって生きられるかもしれないというほのかな希望に、凩の冷たさを一瞬わすれた。ぎらぎらした気持ちで書かれたのではない本がしきりに懐かしい季節なのかもしれない。
セバスチャンという名をもらった犬が、早く逝った妻への追憶に重ねられて語られるが、やがて老衰したセバスチャンも「萩の白いむらがりに(…)月のひかりが一面に散っていた」夜、ひっそりと息絶え、そして著者自身も、この春、故人となった。商社員として、世界各地に転々と勤務地をもった彼がこのような文章を書くことを、ながいこと知らなかったと、著者の友人で、没後にこの本をつくった詩人があとがきで述べている。一冊の本にするにはなんともぎりぎりの量だし、あちこち書き足したり、表現を変えたりしたかったと、故人も思っただろうに違いないのだが、時間の終わりはあんまり早く来た。
もとは妻の希望で飼うことになったヴァージニア生まれのダックスフント、セバスチャンはこのように紹介される。「あれほど愛らしい生き物を、私はまだあまり見たことがない。生後四週間の彼は、ひとの掌にそのまま乗ってしまうほどの大きさでしかなかったが、成犬とまったく同じ色とかたちをしているのであった。黒のビロードで作った縫いぐるみの小さな犬が、君の膝の上で突然目を開けて少しずつ動き始めたら君はどうするか。」仕事が順調にすすまない時期に続いて、妻が癌に倒れる。つらい闘病の歳月をへて彼女が「静かにこの世を去っていった」あと、「何もかもが空っぽになってしまったような茫々とした気持ちで」いる著者のそばには、しかし、聡明で頑固なセバスチャンが影のように寄りそっている。孤独の想いが許容度をこえてしまうような夜更け、彼はふとセバスチャンに訊ねてしまう。「ヴァージニアに帰りたいか」
「船乗りシンドバッドが真白な鸚鵡をその肩にとまらせながら帆船から降り立った桟橋、それがバスラーの港である」ではじまる文章では、中東の港湾都市にかつて著者が短期赴任したころの友人たち、どういうわけか日本語を話すスウェーデン人の船舶技師、部品の故障で不時着した元気な米国空軍の飛行機乗りたち、国を追われたパレスチナ人の洋服屋などとの間に結ばれた若々しい友情の日々が語られる。「ぼくは、いつか必ずあのバスラーに行ってみるつもりだ」と二年前に書いていた著者が、もういちどバスラーを訪ねる話を書いていないことがさびしい。
抒情の原点に立つということ。そんなメッセージをこれらの短い作品は伝えている。
初出:毎日新聞、1992年12月15日
出典:須賀敦子全集第4巻(河出文庫)、河出書房新社、2010年3月30日(初版2007年1月20日)、pp.228-30
単行本:須賀敦子、本に読まれて (中公文庫)、中央公論社、1998年8月25日
※須賀氏は、38歳でイタリア人の夫に先立たれています。本書(『バスラーの白い空から』)の著者の生と共鳴するものがあったのでしょう。この書評では「伴侶の死」に重心があるようです。私は亡父が著者と同年で、旧海軍"震洋"乗組員という全く同じ青春を過ごしていることもあって、表題作に込められた戦後間もない頃の青年たちの肖像に打たれました。本とは不思議なものです。
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