経験的合理主義者としての身体
私の就寝前の日課は、軽い運動をすることです。高さ5㎝程度の垂直跳び200回。ラジオ体操一巡。0.5kgの鉄亜鈴を二本使った腕振り1000回。全て室内で済ませます。毎朝、タニタの電子体重計で計量しています。少し脂肪がつき過ぎたな、という危機感を感じて、タニタを買ったのが六年前。いろいろなトレーニングルーチンを試し、そして、効果が見えないのに失望して途中止めたり、自分に口実を付けてサボったりしました。現在のルーチンにほぼ固定して、18ヶ月ほど経ちます。いまでも、キッチリ毎日できているか、というと実はそうでもなく、数日休んだりを挟んで、まあ何とか続けてきました。
幾つか感じたことはありますが、しみじみ思ったのは、体脂肪率を減らすには、脂肪の摂取をコントロールするより、筋肉量を増やさなければだめだ、ということです。なぜトレーニングをすると筋肉が増えるのか、と言えば、トレーニングによって、筋肉繊維が寸断され、身体がそれを再生するとき、今度は筋肉繊維を切れにくくするために、寸断する前より筋肉繊維を少し太くするからです。
しかし、逆に数日筋トレを中止すると、てきめんに体脂肪率がリバウンドします。さっきとは逆のプロセスが働き、トレーニングを中止すると、身体は、負荷に対して筋肉量が過剰だと判断し、その部位へのタンパク質等の資源供給を減量し、負荷に見合う筋肉量にする訳です。
この理屈は、脳細胞でも同じです。頭を使えば使うほど、その負荷に余裕をもって耐えられるようにシナプスが増えるのです。逆に、あまり頭を使わないと、身体はその負荷に見合う程度のシナプス量に減量するのです。負荷に対して過剰なシナプスを維持するエネルギーやタンパク質等の資源を別に回してより有効利用しようとする訳です。
私は、上記のトレーニングが順調に出来ている時は、筋肉量は標準値+、体脂肪率は標準値-で、体内年齢は、暦年齢より14歳ほど若い状態を維持できます。身体は非常に合理的であり、イデオロギー抜きの合理主義者だとつくづく思います。
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