「自力救済の原理 the principle of self-help」を巡る顕教と密教
初期近代(1618-1648)、ヨーロッパ大陸中央部をその業火で焼き払った第0次世界大戦とも呼ばれる「三十年戦争」がありました。その歴史的帰結として、ヨーロッパ大陸におきましては、神聖ローマ皇帝とローマ教皇の権威は地に堕ち、大小さまざまな「主権国家」が並び立つ「ウェストファリア条約」体制に移行しました。これ以降、西欧世界において、主権国家の上に立つ(実定法的)権威は消失し、21世紀の現代まで、近代世界は大国主導で合従連衡が行われる、権力政治(弱肉強食)のアリーナと化しています。
西欧世界が非西欧世界の分割競争(分捕り合戦)を始める近代になりますと、彼等の慣習は全世界規模に拡大され、同時に主権国家システムが非西欧世界に普及することになります。そして、国際連盟、国際連合、国際司法裁判所、国際刑事裁判所等が設置されましたが、どの仕組みも大国主権国家を同じ法の下に組み入れることはできず、辛うじて主権国家間の利害の擦り合わせをその役割として現代に至っています。これは結局、大国間の政治的取引で国際紛争を解決することを意味します。従いまして、「取引」が通じなくなると、Hot Warとなり、二つの世界大戦と、冷戦下での紛争地域における米英連合vs.ソ連の代理戦争となってきました。
まとめますとこうです。近現代において、領域国家内の「自力救済による〈Recht/droit(法/権利)〉の実現」は封じられました。しかし、主権国家間の「自力救済による〈Recht/droit(法/権利)〉の実現の禁止」は小国には適用されましたが、大国においては適用外で、「自力救済による〈Recht(法/権利)〉の実現」は事実上黙認されたままです。この腰砕けの情けない状況は、16世紀から五百年間継続しているわけです。言わば。小国は「のび太」、大国は「ジャイアン」、というのが、主権国家間の実定秩序なのです。イラク戦争(2003年~2011年)でイラク民間人に10万人以上の犠牲者を出した戦犯であるジョージ・ブッシュ元米国大統領を逮捕、訴追どころか、指一本触れられていないことがこの現実を語って余りあります。
こういう21世紀の現実を目の前にしますと、大学で学んだ「自然法」や「国際法」は何だったんだ?、となってしまいます。ヒュームやスミスのアイデアは、「武力闘争」などの「情念 passion」を、「実定法」で制御するのではなく、「利益 interest」の相互調整で十分であるというものでした。すなわちそれは損得勘定の調整メカニズム(いわゆる 「私悪は公益」=market mechanism)の方がより効果的に制御を達成できる、というものでした。ミクロの「人格」間ではうまくいきそうですが、「主権国家」間では game の playerが大きすぎて、自生的秩序 spontaneous order の形成は理論の目論見通りにはいかないままです。また、民族浄化 ethnic cleansing などが勃発する地域では「利益 interest」などは吹き飛んでしまいます。
「情念」から発生する「暴力」をできるだけ「抑制」する活動・努力・仕組みづくりは無論継続しなければなりません。しかし、領域国家内の「悪(犯罪)」が皆無にならないように、人間集団間の「悪(武力行使)」は無くならないのではないでしょうか。ただし、前者の「悪」は近代主権国家の領域内では「制御」は出来ています。せめてその状態に少しでも近づくような実行可能性を持つ仕組みを工夫し続けるしかないと言うのが当面の私の小括です。
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