「Modernity」の原産地証明
Modernity の歴史を回顧するならば、いま全人類が暮らしている Modernity という時代は、欧米人が、その platform を作ったことは疑いようがありません。非欧米人はその platform の上で、欧米人が創出した様々な format を利用して、modern な生活を営んでいます。これは、好き嫌い or 善い悪い、に関わらず、そうせざるを得ない現実であり事実です。大学という高等教育機関(platformのひとつ)やそこで日々研究され、生産されている学術等の resources もその例外ではありません。
そして、私たち現代人は例外なく、「人類社会」や「世界」、というものを、学問等の知的な resources を介して認識しています。古代人が「神話」を介して「世界」や「宇宙」を理解していたように。中世人が「宗教」を介して、「人間」や「国家」を理解していたように。
その一方で、modern な知的 resources を身に着けて、日々暮らしている現代人は、自らを modern people だと identify し、そうでない人々を pre-modern な連中だとみなします。しかし、そもそも大学や哲学という resources は、欧米人が考える「modernity」「rational」「good vs. evil」「efficient」を認識し、把握して、操作可能にするために、欧米人が練り上げてきた resources です。だから、非欧米人は、自分の知を構成する知的 resources に対して、常に「取り扱い注意」が必要となります。
Michel Foucault の言ったことで最も重要なことは、正常者(reason)と異常者(madness)を区別するのは常に正常者(reason)であり、その審級そのものが権力(power)であると喝破したことです。その Michel Foucault は、フランス国内で違法である小児性愛(pedophilia)を、法的規制のない北アフリカのチュニジア Tunisia で、合法的に「買って」いました。これが欧米人が言う「法」「正義」「普遍性」の現実です。その「普遍性」は、非欧米人の直前で立ち止まり、それを欧米人は不当であると見ることができないのです。
1980年代、日本と欧米の貿易紛争の折、彼らは「日本はダブルスタンダードだ。」と非難しました。彼らにとってはそうなのでしょう。欧米人にあっては「建前 tatemae」と「本音 honne」の区別などという二重基準は存在しない、ということが彼らの「建前 tatemae」だからです。欧米人にあっては、自分の「本音 honne」は存在しないのです。ただし、それは抑圧され、彼らの眼から隠蔽されているだけなのですが。あるいは、self-control の賜物でしょうか。
従って、欧米人の言説も、大抵は欧米人の都合の良いように作られています。その言説で構築されている「現実 reality」もです。非欧米人が、眼前にある「現実 reality」を変えてい くには、余程の知力と胆力が必要である所以です。私たち非欧米人は、せめて無自覚な「名誉白人」にだけはなりたくないものです。
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