「孤人 solitude」の 殻(shell) としての「家 das Haus」
「近代」は、前近代における、いろいろな事情やシガラミ、《法》、むき出しの《力》の中で生きていた「人々」を、あらたに《権利》という法概念に基づいてその紐帯を断ち切ることを通じて、「個々」の「人」として析出しました。私たちは、名も無き「人々」から、固有の名を持つ「個人」にめでたく転生したのです。「自由」を獲得した訳です。
しかし、それにしては21世紀の現代人は「安政六年」頃のJ.S.ミルに比べて、十全に自由なのか。SNSの情報に右往左往し、統治者の、感染症対策と称する集会の自由の制限や、安全保障の危機の高まりを喧伝する軍事費増強のための増税に、手もなく、してやられています。日本のサイエンスの中核組織の一つである(はずの)理化学研究所は、ここ何年も任期付き雇用の運用をめぐってのすったもんだで荒れてしまい、「世界最先端の研究」どころではありません。いまの実態は、無防備な「孤人 solitude」が組織の「力」に粉砕されるの図、です。
こんなはずでは無かった。やはり、「人 ひと」には何らかの shell(shelterではなく)が必要なのです。私は「家 das Haus」の再考が必要ではないか、と考えます。「family」、「house」、二つの役割を兼ね備えた「家 das Haus」です。先の弊ブログ記事のミルにひきつけて言えば、さまざまな「家」の生活実験が試みられるべきではないか。これまであまりにも、「家」を否定的に見すぎていたのでは?、と近年強く思います。実態としての「家」的なものに、現代の私たちも多かれ少なかれ厳として属しているのに。
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