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2023年1月29日 (日)

二千年前の奴隷解放令/ The Emancipation Proclamation of 2,000 years ago

 光武帝が最初に着手したの民政政策は奴婢の解放である。前章で述べたように、王莽時代では、法に触れて奴婢とされるものがきわめて多く、また、生業を失った農民は、生きるための手段として、その妻を売りその子を売って、奴婢とした。光武帝は即位の翌年、建武二年(二六)に、まず売られて奴婢とされたもので、父母のもとに帰ることを希望するものはこれを解放することを命じ、建武六年(三〇)には王莽時代に法に触れて奴婢とされたものをことごとく赦免して庶民とした。
 その後も地方を平定し、その地域を支配領域に加えるごとに、このような奴婢解放令を発布した。また、建武十年(三五)には、奴婢を殺したものの罪を厳罰にし、逆に奴婢が人を傷つけたばあいに死罪にする律を廃止している。これらの奴婢政策は、奴婢制度そのものを廃止するものではなかったが、こころならずして奴婢とされたものを救済するという意味で、当時の社会の底辺に鬱積する不満を解消するとともに、王朝の基盤となる庶民を充実を意図したものであろう。
西嶋定生著『秦漢帝国』講談社版・中国の歴史2、1974(昭和49)年、p.414

 上記の史実を私が知ったのは、弊ブログにおける、遍照飛龍さんのコメント中のリンク先記事〔下記、註を参照〕からです。私は、歴史については、かなり広く、ある程度深く、知識を有しているつもりでいましたが、後漢の光武帝にこんな事績があるなんてことは全く知りませんでした。無論、高校の世界史(山川出版社)にも書いてありません。トピックスとしては志賀島の金印のことぐらいです。念のために、日本を代表をする百科事典である、平凡社世界大百科事典〔上田早苗筆「光武帝」〕、小学館日本大百科全書ニッポニカ〔好並隆司筆「光武帝」〕、を一瞥しましたがこの件に関して記述は皆無でした。事典類でこの件の記述があったのは、『岩波 世界人名大辞典』2013年、岩波書店「劉秀 Liu Xiu」だけです。最新の新書として、渡邉義浩著『漢帝国―400年の興亡』中公新書2019年にも眼を通しましたが、それらしき記述は見当たりませんでした。

 光武帝と言えば、学問(儒家思想)にも造詣が深く、この「奴隷解放令」も光武帝のそういった思想的背景と無関係とはちょっと思えないのですが、この方面からの記述はどの事(辞)典類にもありませんでした。しかし、エイブラハム・リンカーンの2千年前に、古代という時代的制約下ではあっても、東アジアの統治者(中華王朝皇帝)が公的施策として大々的に実施していた、という史実は、少なくとも日本人はよく知っておいたほうがよいと思われます。

※註 「光武帝と建武二十八星宿」中の「42.奴婢の解放と人権宣言」を参照

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コメント

光武帝の紹介をしていただいてありがとうございます。

以前は、宋の趙匡胤を「推し」ていたのですが、件のサイトで、光武帝を良く知ると、彼も「激推し」をしてます。


中国史で、ツートップの名君と言うと、私は光武帝と宋太祖かな。

奴隷解放と、言論の自由の一程度の保証。これって近現代でも、結構な偉業なんでしょうけど。

投稿: 遍照飛龍 | 2023年1月29日 (日) 19時11分

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