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2023年5月18日 (木)

徳川日本のニュートニアン/ a Newtonian in Tokugawa Japan

 志筑忠雄(しづきただお)。宝暦10〔1760〕年生まれ、文化3〔1806〕年に没した徳川日本人です。元長崎通詞で、ケンペル『日本誌』の附録第六章を志筑が訳述した『鎖国論』が、「鎖国」という日本語の初出、ということをご存じの方もいらっしゃるでしょう。

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大島明秀 - 投稿者自身による著作物, による

 しかし、この人物、天才、と賞賛されても過分とは言えないかも知れません。例えば、百科事典の記述を一瞥しますと、

「彼は東洋最初ニュートニアンである。」
平凡社 世界大百科事典「志筑忠雄」有坂隆道・筆

西洋天文・物理学研究で、蘭学史上同分野の研究としては最初で最高水準にあった。」
吉川弘文館 国史大辞典「志筑忠雄」吉田忠・筆

という評言がすぐ見つかります。

 極めつけは、池内了氏の新著(詳細は本記事の最下段を参照)です。

 この書の、「志筑忠雄と山片蟠桃の革新性」p.46、にこうあります。

「同じ頃、長崎通詞の志筑忠雄は、西洋の天文学・物理学入門の文献を『暦象新書』として翻訳して(上編1798年、中編1800年、下編1802年)、ニュートン力学を日本に紹介した最初の人となった。志筑は、この『暦象新書』において、太陽系という小宇宙における地動説から広大な宇宙空間に星が点々と散らばっているとする無限宇宙のモデルまで、最新の宇宙像を紹介している。江漢は「芥子粒が点々と散らばる宇宙」とか「荒野に馬があちこちに散策しているような宇宙」を想像したが、志筑も極大の宇宙空間に生きる人間の小ささを述べている。さらに「附録」として付けた「混沌分判図説」において、自らの創意に基づいて宇宙における天体形成過程の仮説を提案していることは高く評価できる。この「附録」で論じた太陽系の形成過程の仮説は、カント・ラプラスの太陽系起源論と遜色がない
 何より強調すべきなのは、志筑が翻訳によって紹介した無限宇宙論は、江漢のような文学的想像力によって空想したものではなく、ニュートン力学に基づいた科学的思考によって提起されたものだということである。また「附録」の太陽系形成論では、回転体において遠心力と求心力が拮抗する下での惑星誕生という天体の発現過程を、あたかも実際の場をシミュレーションするがごとく極めてリアルに描いている。議論したり相談したりする同好の人間が誰もいない中での、彼の的を得た考察には頭が下がる思いがする。」

 また、本書「はじめに」pp.6-7に、

「以上のように、1780~1820年のほんの短い間に、西洋から天文学・宇宙論を学ぶ中で、日本人はコペルニクスの地動説(1543年)から250年間の遅れを取り戻しただけでなく、無限宇宙論の描像において一気に世界の第一線に躍り出たのである。残念なことに、この「江戸の宇宙論」はこれらの三人の寄与がピークであって、それ以上に展開することはなかった。それは日本だけのことではなく世界各国とも事情は共通していて、有力な宇宙の観測手段を持たない時代において、彼らの宇宙論は空想し得る限りに達していたからだ。その意味では、一瞬とはいえ日本人の宇宙論が世界の第一線にまで到達していたと言えるのではないか。自由な発想で学問を楽しむ中でこそ世界の最前線に立つことができた、このような江戸の文化の豊かさをともに味わいたい、そう思ったのが本書を執筆した動機であり、江漢に続いて、志筑忠雄と山片蟠桃の二人を地動説・無限宇宙論に関わる部分を中心に据えている。」

ともあります。

 こういった池内氏の記述からも、元長崎通詞・志筑忠雄の尋常ならざる異才ぶりが伺われます。当時、彼がオランダのライデン大学あたりで、徳川公儀派遣留学生として学問的な研鑽を積めば、西欧科学史をゴチックで飾る「徳川日本人」になっていた可能性はかなりあると思います。

 これは志筑個人の可能性というよりは、「徳川文明」の可能性と考えたほうがより適切かも知れません。

なお記事の引用文中における彩色フォントは、引用者による。

※関連する弊ブログ記事(ともに和算関連)
江戸のマテマティカ塾: 本に溺れたい
芸に遊ぶ/ It is one sign of human maturity to enjoy things that are useless: 本に溺れたい

◆以下、池内氏の新著のご紹介。

池内 了『江戸の宇宙論』(集英社新書, 1106D)集英社, 2022年3月

「BOOKデータベース」 より
内容説明
 今やノーベル物理学賞を得るに至った日本の天文学。そのルーツは江戸期の「天才たち」の功績にまで遡る。
 「重力」「遠心力」「真空」など現在でも残る数多の物理学用語を生み出した翻訳の達人・志筑忠雄。「無限の広がりを持つ宇宙」の姿を想像し、宇宙人の存在を予言した豪商の番頭・山片蟠桃。そして天才絵師でありながら天文学に熱中し、人々に地動説を紹介した司馬江漢。
 彼らはそれぞれ通詞(通訳)・商人・画家という本業を持ちながら、好奇心の赴くまま自由に宇宙を論じたのだった。本書は現代日本を代表する宇宙物理学者が、そうした江戸時代後期の在野の学者らによる破天荒な活躍を追いつつ、当時の宇宙論の先見性を再評価した一冊である。
目次
第1章 蘭学の時代(蘭学の系譜;蘭学の四つの主題 ほか)
第2章 長崎通詞の宇宙(志筑忠雄という人;『暦象新書』と無限宇宙論)
第3章 金貸し番頭の宇宙(山片蟠桃という人;大宇宙論の展開)
終章 「歴史の妙」
「補論」 日本と世界の認識

 

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