徳川思想史と「心」を巡る幾つかの備忘録(3)/Some Remarks on the History of Tokugawa Thought and the "mind"(kokoro「こころ」)
遍照飛龍 様、弊コメントへの応答をありがとうございます。
「朱子学的紀律化の「市井的普及版」が、通俗道徳であった」
「この朱子学的紀律化の猛毒が『自己責任論による社会の荒廃と修羅化』の大きな原因」
上記の2点、重要なご指摘だと思います。この列島の19世紀は、百年間をかけた《朱子学的紀律化》の亢進だったのではないでしょうか。
テキスト化され、印刷物として、《朱子学》の一連の教育カリキュラムとして整備されたテキスト類は、武士中下位層にとっては自己と他者の統治(governance)のtextbookでしたし、庶民上層にとっては、自己陶冶(あるいはself-governanace)の指南書でした。庶民下層には、それらをより砕き、漢字かな交じり文にした、「実語教/童子教」や、商売などの実業的知識と識字教育を兼ねた、手習いの教科書の「往来物」等が爆発的に普及しました。しかし、一方で、庶民層の「こころ」の拠り所は、檀家制度を通じての「仏の教え」でしたから、《朱子学的紀律化》は、せいぜい、庶民上層の向学心/向上心/出世欲を刺激したに留まりました。儒家倫理と仏教倫理はそれぞれ現世志向と来世志向で、真逆でしたから、中下武士層が庶民相手に崇高な「国家に奉仕するための‘勤勉’倫理」を説いても通じません。この「‘こころ’の堤防orダム」が決壊したのは、維新期における《神仏分離/廃仏毀釈》という《文化大革命》の‘おかげ様’です。
一方、中下位層武家の後身である士族層や上層庶民は、明治期において西欧文物を継受/翻案する知識人層を形成しました。そして、彼らの知的基盤は儒家思想(朱子学〔旧教〕/陽明学〔プロテスタンティズム〕)でしたので、西欧語の翻案/翻訳は、朱子学上の漢語が転用され、とりわけ幕末/維新期知識人には、西洋「哲学」は理解が容易な「倫理学」、キリスト教は「倫理」として受容されました。また、それは幕末/維新期知識人における儒家漢語(朱子学/陽明学ターミノロジー)で置き換えられました。例えば、現代日本でも使用される「良心」が「conscience(en)」「Gewissen(de)」の、《孟子》告子章上の〈良心〉から翻案されたものである、という指摘や、カントの倫理学を陽明学の「良知」から説くことが行われていた、という指摘があります。
この19世紀の列島における庶民心性の《心変わり》が、近代日本人の《野蛮化》や1945年の列島の灰燼化という歴史的帰結と、無関係とは私には思えません。
参照 徳川思想史と「心」を巡る幾つかの備忘録: 本に溺れたい
参照 徳川思想史と「心」を巡る幾つかの備忘録(補遺): 本に溺れたい
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コメント
朱子学的紀律性 てのは、一種の厳格主義もありますよね。
で、厳格主義ってのは権威主義って落とし穴にはまりやすい。
朱子学でそれが強いのは「論理は正しいけど、厳格主義過ぎる」程伊川の思想も大きいかな・・・王陽明からして「厳格主義者」としては馬鹿にされてたし{ただしその理論はそれなりに尊重されてたけど}
その論理が正しいから、それから離れた・あるいは離れているように見える現実は、切り捨てて満足する・・
「理だけで、権が無い」ってのは、そうですよね・・。
http://kobeemf.com/2023/06/09/post-61518/
>江戸時代の古学と古方医学の関係を研究し、江戸時代の古方派医学の親試実験の思想こそが日本伝統医学の本質であり、素晴らしい部分と感じています。
>しかし、一方で、親試実験の古方派医学が幕末になると国学や和方(皇方)のような観念的・排他的な方向性に堕し、明治維新の廃仏毀釈や昭和の軍人たちの代替医療オカルティズムへとつながる流れ
https://blog.goo.ne.jp/hatimitubunbun/e/bcb7f6f136b68c9b52f9324c31904878
>古方派医学は理論的な朱子学にもとづいている後世方派医学への反動として生まれたと言われています。しかし直接的には古方派は後世方派の中にパリサイ人が増えてきたことにより生まれたのかもしれません。
日本の漢方医学の「権威主義化」も、朱子学の理論を廃しつつもその「厳格主義」の影響を受けているように思えます。
「実際に実験して正しいからこれだ!」ていっても、その時の件だけかもしれないし、そうでないかもしれない。
そのような発想が弱いので、その治験・実験結果を、絶対化して厳格にしようとする、権威化し、挙句はオカルト化してまう・・・
>自由と尊厳を持つのは、よく笑い、よく泣く者のことである
本当にその通りで、厳格主義はそれを殺してしまい、挙句に権威主義と変態オカルトの母体になってしまう。
今の日本の社会の苦悩の一つの、原因の一つかもしれません。
投稿: 遍照飛龍 | 2023年6月12日 (月) 16時34分