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2023年7月26日 (水)

生きていることの罪と喜び/深瀬基寛(朝日新聞、昭和40〔1960〕年7月4日、日曜日)

 どうも人間というものは、ただ生きているというだけで他人に善悪いろいろの影響を与えるものらしい。コロンブスはアメリカを発見したためにあんなに多くの黒奴の大虐殺を誘致した。わたしのように一生語学の教師をしてきた人間はテキストの誤訳さえ犯さなければ罪はないかというと、決してそうでない。その例を二つ三つわたしの実例によって示してみよう。

 敗戦の結果、洋書が自由に輸入されるようになったころ、わたしはイギリスの無名の哲学者、ウォーコップという人の書いた一冊の書物※1にひどく感心し、この本の翻訳を思い立ち、出版社※2と交渉しているうちに原著者との連絡がついた。著者はイギリスの植民地ケニアの大学で哲学を教えているということであった。手紙のやりとりを重ねているうちにこの人は日本に非常な興味をもち、日本の先生方とディスカッションをしたいのでユネスコに日本旅行を申し込んだ。もし日本の大学の有力な方から推薦していただけるなら日本行はいっそう早く実現するだろうとのことであった。わたしは心当りをさがし、当時文部大臣をしておられた天野貞祐先生にお願いして推薦状をユネスコあてに出していただいた。ところが、その後の手紙で彼はユネスコの順番が待ち切れず、私費で日本行を決行したいと言ってきた。わたしはあわてて返事を書き、いま日本へ来ても、日本の大学は夏中休暇で先生も学生もいないから秋まで延ばすように言ってやった。わたしと彼との手紙の連絡はそれっきり絶えてしまったのである。

 その後の消息は不思議な縁で朝日新聞の笠信太郎氏によってもたらされることになった。わたしの訳本は「物の考え方」という題にしたのだが、それは笠氏の「物の見方」から思いついたものであった。ところでご当人の笠氏がわたしの訳本に非常に興味をもたれ、たまたま新聞社関係の大会に出席されるため渡欧のついでにロンドンで著者をさがし出そうとして、ロイターの通信網まで動員して苦心された結果がやはり著者の行方は不明で、やっと判明したことは、どうやらこの人物はテムズ川の岸壁で仲仕の一群に身を投じているらしいということ、アフリカのケニアの銀行にわずかばかりの預金があること、またテムズ川から日本行の貨物船に乗込んだ形跡があること、この三点にすぎなかった。

 もしも日本行の貨物船に乗込んだことが事実だとすれば、当時はスエズ事変の最中だったから地中海で貨物船とともに沈没したのではないかとわたしは想像している。本人がどこかに存命しているとすれば、十年も行方不明ということはとうてい考えられないのである。それはともかく、もともとだれに頼まれたわけでもないのいこんな本を翻訳しようなどという、むら気さえわたしが起こさなかったならば、こんな途方もない結果には立ち至らなかったであろう。人間の法律的責任や道徳的責任のことはだれしも問題にするが、それとは別に、ただ一匹の人間が生きているということだけで、どうしようもなく起きて来る罪というものがある。ふだんは忘れているが、考えてみるとおそろしいことである。

 以上はわたしの片手間の翻訳業がひき起こしたいちばん不吉な一例だが、その反対の吉例もないことはない。この吉例は、まだわたしの一度もあ会ったこともない小説家の大江健三郎氏が提供してくれた。この方は著名なイギリスの詩人だが、W.H.オーデンというのがあって、この詩人にわたしはかねて非常な興味を覚え、詩の訳などどうせろくな結果にはならないことを知りながら、いくらか意味の通じそうな訳が四十編ばかり出来たので、それをまとめて「オーデン詩集」という題で本にした。その中に「見るまえに飛べ」という題の詩があるが、同じ題が大江氏の作品についているのをその後発見してオヤと思った記憶がある。その後大江氏の文章に注意していると、たびたびオーデンのことが出てくるし、もとはわたしの訳詩を大学の売店で買ってからの病みつきであることを知った。

 いったい詩の訳というようなものが、文学青年の一時の好奇心を越えて、小説家の信念の一部を形成する資料になるというようなことはわたしの多年の経験を裏切る珍しい特例であった。もしもオーデンというような外国の一人の詩人がわたしの不透明な訳詩を通してにしろこの程度の影響力をもつとすれば、それは訳者のきまぐれも全然ムダではなかったという気休めになるわけで、わたしにとってはまことに珍しい吉例なのである。

 もう一つ吉例をつけ加えておくと、この拙文のアイデアである、ただ生きているだけの人間の罪定という観念は、福井在住の加藤与次兵衛氏の随筆集「天王雑記」から借用したものだが、氏とわたしは四十年もまえ松江高等学校創立の当時の同僚として、氏は法律とドイツ語を、わたしは英語を教えた間柄である。およそお役所や学校の同僚というものほど白々しい、水くさいものはほかにない。それが今日なお文通をつづけているのは、氏が当代まれな読書家であるために、わたしのつまらない訳書にまで目をさらされ、それを通して遠いむかしを思い出してくださるからである。

引用者註
※1 Oswald Stewart Wauchope, Deviation into sense : The nature of explanation, Faber & Faber (1948)
O.S.ウォーコップ(深瀬基寛訳)『ものの考え方 合理性への逸脱』講談社学術文庫(1984)

※2 Faber & Faber(London)のこと。
この時の文芸部門のDirectorがT.S.Eliot。本記事の筆者である深瀬基寛氏の訳業で、この20世紀を代表する大詩人は、戦後日本にひろく知られるようになりました。EliotがFaber & Faber のディレクターでなければ、Wauchopeのような全く無名の人物の持ち込み原稿が、この伝統と格式のある名門出版社からいきなり単行本として出されることはなかったでしょう。この点も、各人物相互の不思議な「因縁」を感じます。

※3 Faber & Faber に関しては、下記の弊記事もご参照されたし。

T. S. Eliot vs. George Orwell (1): 本に溺れたい
T. S. Eliot vs. George Orwell (2): 本に溺れたい

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