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2024年9月23日 (月)

リア・グリーンフェルド『ナショナリズム入門』2023年11月慶應義塾大学出版会/訳:小坂恵理, 解説:張 彧暋〔書評③〕

今回から内容書評に入ろうと思い、そのための下準備として、原著者のオリジナル概念、「近代政治の二重らせん double-helix of modern politics」、「尊厳資本 dignity capital」などの箇所を再読しました。そこで、訳文に重大な瑕疵と判断されるものと見つけてしまいましたので、申し訳ありませんが、もう一回、その指摘をさせて頂きます。ことはイスラム過激派に関する記述なので、政治的な意図で、歪曲されて流用されないとも限りません。念のため、本ブログの書評の一部として残しておくことに致します。

本訳書、第5章「ナショナリズムと近代のパッション」、近代政治の二重らせん、pp.200-1 
「・・・。イスラムの尊厳資本は非常に高い。この尊厳は、かつては強力で尊敬を一身に集め、しかも確実に尊敬に値した共同体の一員である事実根拠になっている。そのためイスラム過激派組織に参加する人たちの大多数は、自分たちのアイデンティティとの関係に由来するとは考えない。しかも、自分たちの共同体が過去の力や尊敬を失った現実に屈辱感を抱き、尊厳が踏みにじられたと感じる。」

 この訳文の直前には、中世イスラム帝国が数世紀にわたり、暗黒の中世キリスト教世界に対し、政治的・軍事的に圧倒的に優位し、絢爛たる高文化を誇った歴史的事実が、イスラムを謳うテロ組織においても「尊厳」の根拠となっていることを記述しています。従いまして、「イスラムの尊厳資本は非常に高い。」と続けて述べているわけです。では、この原文を以下に引きます。

Greenfeld, Liah, Advanced introduction to nationalism, E. Elgar, 2016, 4 Nationalism and modern passions, Nationalism as the double-helix politics, p.126
'The dignity capital of Islam is very high. It is from their membership in its community, once powerful, respected, and, what is more, eminently, respectable, that the great majority of the participants in the militant Islamic organizations derive their identity, not from the relationship between each one of them and God, and it is because this community has lost its former power and respect that they feel humiliated, assailed in their dignity.'

上記の、ブログ主訳
「過激派イスラム組織の参加者の大半は、かつては強力で尊敬を集め、さらに言えば、極めて尊敬に値するそのコミュニティの一員であることからアイデンティティ得ているのであって、各個人と神との関係から得ていないのです。 彼らが屈辱を感じ、尊厳を傷つけられたと感じるのは、このコミュニティがそのかつての力と尊敬を失ったからです。」

 本訳書の訳文では、イスラム過激派の大半の人たちは、自分たちのアイデンティティの源泉である尊厳 dignity を、世俗的な、歴史上の中世イスラム帝国黄金期から得ているのであって、イスラムの神からは全く得ていない、と自覚的に、あるいは、陽表面的explicit に考えている、(かの)ようにグリーンフェルドがみなしている、と読めてしまいます。しかし、グリーンフェルドが述べているのは、イスラム過激派という集団において、その尊厳 dignity も、またそのルサンチマンも、イスラムの神とキリスト教の神との相互比較から得ているのではなく、結局、極めて世俗の優劣感情に起因しているのだ、という点です。つまり、キリスト教文明とイスラム教文明の「文明の衝突」などではない、ということです。むしろ、本書第6章「結論」や「日本語版への序文」でも触れているように、「一神教」文明として同類のカテゴリーにあるため、西欧とイスラムはナショナリズムの特徴である、「競争」や「対立」を歴史上繰り返してしまう、と論じています。

 訳者のおかげで、私は原著を読めたので、ここで、訳者のために弁明をしておきます。上記の原文を一瞥して頂ければ明らかですが、グリーンフェルドの文は、一文が長すぎると感じます。そのうえ、文の構造が、関係代名詞やコロンで、繋いだり、挿入したりで、極めて複雑になっています。私は、小中高の子どもたちに、仕事として二十年ほど国語、英語を教えてきましたので、一応は、「国語」を専門としているつもりなのですが、「英語」を専門としているなどとは、とても言えません。しかし、私の僅少な英語経験から言っても、Greenfeld の English が達意の文かと言えば、そうではない、むしろ「悪文」と言ってもよいのではないか、とちょっと考え込んでしましました。案の定、amazon.com の原著 review にも、native らしき人物から、「素晴らしい記述がある一方で、一文が長すぎて、とても意味が読み取りにくいところも多い。複雑な事項は、箇条書きを利用してくれ。」とクレームの書き込みがありましたので、a native speaker of Enlish でもそう思うのだなと、 reviewer にも、本訳者にも同情を禁じ得ませんでした。

 よく、頭の回転の速い人物は、その速さが口頭の速さを追い越してしまうので、講演などが早口で聞き取りにくい、あるいはわかりにくい、という評を伝えられます。Isaiah Berlin などはそう書かれていました。同じユダヤ系ロシア人出身の Liah Greenfeld も、天才に擬するに足る人物なので、アイデアが頭の中に充満していて、書いている途中で、次々とアイデアや書きたい事が新たに出てしまい、それを次々と書き足してしまう、というタイプなのかも知れません。広大な領域をカバーして議論し、1冊平均600頁もあり、その英文も難しいのであれば、誰も積極的に訳したいとは考えないでしょう。困ったものです。

 愚痴を書いても仕方がないので、一つ予告をしておきます。本訳書の第5章「ナショナリズムと近代のパッション」の下記の箇所を再読して思ったのは、

「反乱や暴動の参加者の大多数は低い階級の出身者であるのに対し、革命の支持者のほとんどは特権階級に属する。特権階級のなかでも教養があり、精神疾患の影響を受けている階層である。参加者の大多数、特に指導部は、特定の実際的な関心事に突き動かされるわけではない。定義の曖昧な何らかの理想に基づいて、社会を激変させたいと願う。変化を実現させるためには、理想と交換すべき対象を破壊しなければならない。そのため理想は曖昧でも、構造的・暴力的な衝動に促されて対象がはっきりと特定される。そして象徴とその指示対象物が混同されるため、現実の人間が自分たちの行動のせいではなく、象徴するものを理由に殺される。」本訳書 pp.196-7、〔下線は引用者、元治元/1864年、7月11日正午、京都・三条木屋町筋で尊攘派に背後から斬殺された佐久間象山を想起します〕

「対照的に集団的ナショナリズムは、集団での暴力的な活動を奨励する。そのため大きな革命はすべてーフランス革命、ロシア革命、ドイツの国民社会主義者による革命ー集団的ネーションで発生している。しかも、集団的・民族的傾向が顕著なナショナリズムの枠組みでは、妄想的な活動がナショナリズム特有のゼノフォビア(外国人嫌い)政治の形で一般に認識されるケースが多く、『他者』に対する敵意がむき出しになる。ネーションの劣等感は、民族ナショナリズムに共通の特徴である。この劣等感は、アノミーが心理や精神に引き起こす混乱状態を癒すための治療法として、外国人を標的にした妄想的・暴力的な集団活動を奨励する。」本訳書 p.199〔下線は引用者、幕末の尊攘激派の記述か、と見紛います〕

幕末の、武士階層(intellectuals)の「尊王攘夷」運動、廃仏毀釈・神仏分離事件、ヒュースケン殺害、東禅寺襲撃事件等の外国人殺傷テロ、長州藩による下関発砲事件、幕末の知性を代表する天才佐久間象山暗殺や、朱子学的開明思想家横井小楠の明治2年暗殺テロ、薩摩藩による軍事技術指導者・開明思想家赤松小三郎暗殺テロなど、です。幕末の政治変動を Greenfeld の Natinalism アプローチで分析する価値はありそうだな、と感じました。

 恐縮ですが、④に続きます。

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コメント

話はかわりますけど。

>以下手短かに言えば、次のようなことになる。神=学なるものが成立するためには、神々という不在の対象は〈学〉の対象として、純粋に抽象的=普遍的なるもの、「存在」という虚構の概念となるほかはない。言い換えれば神学は、それが〈学〉たりうるためには、「存在論」という形をとるほかはない。

>だからパルメニデスが「在るものは在る」と断言するとき、「存在」とは語りの主体たる彼と彼の言辞(レーマ)を聴取する他者を共に同時にさし貫くような、普遍的な暴力の開示である。

てのが、「暴力的」なった大きな原因に新約聖書の「はじめに「言葉」ありき」だったのですよね。

神がすなわち「ロゴス」で「あるものはある」なら、それに反するものは、容易に「悪魔」にできます。

逆を言うと「自分が間違っているかもしれない」なら、それは容易に自分が「悪魔」に転落しかねません。

結局は、これが「自己中心の合理主義」の大きな原因なのでしょうね。

投稿: 遍照飛龍 | 2024年9月30日 (月) 20時57分

佐久間象山を殺した河上彦斎は、佐久間暗殺以降「なんかおかしい」て、暗殺を辞めたそうです。

ちなみに河上彦斎は、漫画「るろうに剣心」の主人公の緋村剣心のモデル。

その「なんかおかしい」とすら思えない人間たちによって、明治維新になった・・て考えると、想像以上におぞましい事なのかもしれません。


投稿: 遍照飛龍 | 2024年9月25日 (水) 10時53分

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