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2024年10月14日 (月)

プログラム解明科学とSMT理論/Program-Elucidation Science and SMT Theory

プログラム解明科学とは、故吉田民人が提唱しているものです。従来の、物理学を第一モデルとする自然科学は、自然界に内在する「法則による秩序」を探求する「法則定立科学」であり、人間社会に内在する「規則による秩序」を探求する社会科学は、「プログラム解明科学」と呼ぼう、というアイデアです。

一方、SMT理論とは、
Yoshinori Shiozawa, Masashi Morioka, Kazuhisa Taniguchi
Microfoundations of Evolutionary Economics
Springer; 1st ed. (2019/7/10) , 364 pages, ISBN-10 : 4431552669

によって、全世界に向けて発表された、新古典派経済学を代替する、経済学の基礎理論です。

SMT理論から生み出された第一の重要な発見は、限定合理下にある各企業が需要に応じて各自の産出量を決定する際、各自の過去の産出量実績の数回の平均に基づいて、各企業が需要予想を立てるなら、経済全体の数量調整過程は収束する(つまり発散しない)というものです。この帰結は、各企業が上乗せ価格方式によって販売価格を個別に決定し、個別に産出量を決定する、という完全に分散的意思決定のプロセスのままで、莫大なサイズの経済系が首尾よく運行することを示しています。この「数期の過去実績に基づいて需要予想をする」という点が、個々には人知の及ばない、巨大な市場経済がとりあえず作動するために必要な個別企業のプログラム行動、となる訳です。これが、吉田民人の言う社会科学において解明されるきべき「プログラム」、そのものであることは、自明でしょう。

ということで、Liah Greenfeld への書評も中途半端なので、恐縮ですが備忘録程度の記事となります。

※参照
heuristics としての「数学」について( or 数学は科学か?)/ On "mathematics" as heuristics (or Is mathematics a science?): 本に溺れたい

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コメント

遍照飛龍 様

貴重なコメントを頂きっぱなしで、相済みません。
もう少し、お待ち頂ければ幸いです。

投稿: renqing | 2024年10月20日 (日) 00時50分

>人間社会に内在する「規則による秩序」を探求する社会科学は、「プログラム解明科学」と呼ぼう、というアイデアです。

そりゃそうですよね。。。

「考え方」が変われば、行動も変るし、物事のとらえ方も変わってくる。

ですが「あるものはある」「はじめに言葉ありき」では自分の考え方だけが「絶対」になってしまいやすい。
それがもしかしたら西欧近代文明の社会科学が「おかしい」一因かもしれません。

「言葉の定義」や「論理の構成」とかが変われば、それで行われる言動やそれで動かされるモノ・社会も変ってくる。。

なんて、生煮えな仮説を書いてみました。

投稿: 遍照飛龍 | 2024年10月16日 (水) 18時31分

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