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2024年11月28日 (木)

薔薇戦争と中世イングランドのメリトクラシー/The War of the Roses and the Meritocracy of Medieval England

Liah Greenfeld の議論で、反論にさらされることが多いのは、中世イングランドにおいて「nationalism」が誕生し、それが後に人類社会の「近代化」をもたらした、という点、就中、15Cイングランドに「ナショナリズム」が誕生した、という史実解釈でしょう。そこでの彼女の論点は端的にいって、「薔薇戦争 1455~1487」が結果的に中世イングランド貴族社会を一掃したため、その人材穴埋めとして下賤の輩(people)たちに、イングランド王から pick up される機会(垂直的流動性)が生まれた、ということになります。それを、従来の歴史学では、王権が貴族を排して中央集権化を図った、とするのですが、Greenfeld は、新貴族となった「赤い血の貴族(=元 people)」の《自己了解 für sich selbst verstehen》or 《世界解釈 Weltdeutung》として歴史的に生成された、people の認識枠組みが《nationalism》だと再定義した訳です。その妥当性をチェックする一環としてChatGPTに以下の質問をし、下記の回答を得ましたので供します。ご参考になれば幸甚です。素晴らしい出来だと私は評価します。

◆問
「薔薇戦争(Wars of the Roses, 1455-1487)が、中世イングランド社会において、meritocracy の誕生、あるいは定着に関して、肯定的な影響を与えたか、否か、評価してください。また、薔薇戦争(Wars of the Roses)が、中世イングランド社会において、meritocracy の定着に肯定的な影響を与えたとする論者を教えてください。」

◆回答
薔薇戦争がイングランドにおけるメリトクラシー(実力主義)の形成に肯定的な影響を与えたとする見解は、一部の歴史家や論者によって支持されています。戦争の結果として、イングランド社会の封建的な階級構造が揺らぎ、社会的な流動性が生まれたことで、一部の層では「能力による抜擢」が進んだとされています。以下に、薔薇戦争とメリトクラシーの関係についての評価と、肯定的な見解を持つ論者を紹介します。

### 1. 薔薇戦争とメリトクラシーへの影響
薔薇戦争の結果、特に次のような変化がメリトクラシーに対する肯定的な影響として挙げられることがあります。

- **貴族階層の衰退と新興勢力の台頭**:長引く戦争によって貴族層に大きな打撃が及び、従来の封建的な権力構造が動揺しました。これにより、新しい政治的役割や軍事的役割が新興勢力にも開かれ、社会の一部で実力が重視されるようになったとされています。

- **王権集中と官僚の登用**:テューダー朝が発足した後、ヘンリー7世とヘンリー8世は王権の強化に努め、封建領主の力を抑えるために中央集権化を推し進めました。この過程で貴族よりも能力のある下層の者を登用し、実力主義に基づいた官僚層が形成されました。特に法務や財務の分野で専門知識を持つ人材が求められ、結果として「実力」に基づいた昇進の機会が増えました。

- **新興中産階級の台頭**:戦争の余波で農村から都市へ流出する人々が増え、商業や金融を手がける中産階級が台頭しました。この階級は学識や商才を重視したため、従来の貴族出身者に代わり「実力」で地位を築く動きが顕著となり、彼らが王政に関与する場面も増えました。

### 2. 薔薇戦争とメリトクラシーの関係について肯定的な評価を示す論者
薔薇戦争がイングランドにおけるメリトクラシーの発展に一定の役割を果たしたと主張する歴史家には、以下のような人物が挙げられます。

- **ジョン・ガイ(John Guy)**:イギリスの歴史学者で、テューダー朝の成立がイングランドの政治における近代的な官僚制度の発展に貢献したとしています。ガイは、薔薇戦争による貴族の弱体化が、王権の集中と実力に基づく官僚の採用を後押ししたと主張しています。

- **G.W. バーナード(G.W. Bernard)**:バーナードは、テューダー朝の社会変革が経済・政治において実力の評価を重視したことを指摘し、特にヘンリー7世による財務の中央集権化が、実力ある人材を用いた財政管理につながったとしています。

- **アリソン・ウェア(Alison Weir)**:中世イングランドの歴史に詳しい歴史作家で、薔薇戦争以降、王政が安定したことで軍人や行政官の中で「実力」による抜擢が行われたと述べています。彼女は、戦争を経た混乱期の後、新たに登場した有力者たちが知識や能力を元に権力を握る一因となったと評価しています。

### 評価のまとめ
薔薇戦争は、直接的に「メリトクラシー」を形成したとは言い難いものの、戦後の新たな支配階級に実力主義的な選択が求められるような状況を生み出しました。この戦争をきっかけに、イングランド社会では封建的な身分制度が揺らぎ、徐々に能力や実績に基づく登用が始まり、官僚や新興中産階級が台頭したのです。

以上の点から、薔薇戦争は中世イングランド社会において実力主義の基礎を築く一助となったと評価する歴史家や論者も少なからず存在します。

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コメント

>しかし、「知は力なり」という発想そのものが、「野蛮性」を帯びている、とは思わなかったようです。あるいは「奇形的合理性」とは想像だにしていなかったと思います。

知そのものの考察って大丈夫だったのかな・・て思います。

「自分すらわからん」て当てどなさを、受け入れることができなかったのかな・・・西洋文明は・・て思います。


中国も「礼法」と「野蛮」って分ける「華夷秩序」てのがありますが、西洋の「文明と野蛮」とは違いますよね・・・
中国は「教化」がより重要で、さらに「文明」におごってなんども夷に負けた歴史もあるし。その「野蛮」が「文明」を学べば「礼法・文明」にくくり入れれる・・その辺が謙虚かつ複雑なのでしょうね。

投稿: 遍照飛竜 | 2024年12月 3日 (火) 18時44分

遍照飛竜 さま

「未開」というより、「野蛮」なんでしょう。

西欧人は、自己を「文明」に、それ以外の他者を「野蛮」とカテゴリー分けしました。しかし、「知は力なり」という発想そのものが、「野蛮性」を帯びている、とは思わなかったようです。あるいは「奇形的合理性」とは想像だにしていなかったと思います。

投稿: renqing | 2024年12月 3日 (火) 02時51分

二重投稿の削除ありがとうございます。

欧州は、そういう意味ではいまだ「未開」って気もしますよね・・

ロシアや中国のほうが、まだ「労働者・庶民」を見てますよね。


西洋の市民革命など、ガス抜きか「実はもっと上の指導層のプロレス」の面もあると思います。

フランス革命でも「貴族」は一掃できなかったし。まあ革命の指導者層にショウ何や趙普や鄭道伝のようなやり手の知識人が居なかったし、熱狂ばかりで「社会を安定させる」って無かったのも大きいかな・・

それなりに「民主主義」「人権」は大事ですが、見事に欧米文明は、「詐欺」「ペテン」の道具にしてしまってますし、それにまだ多くの人が気づいてません。特に日本では・・・


ある意味では「西欧」「アメリカ」って中露や下手したら日本以上の「未開社会」~非近代社会~なのかもしれませんよね・・


投稿: 遍照飛竜 | 2024年12月 2日 (月) 17時47分

遍照飛竜 さま
貴コメントが二重投稿になっていましたので、一つ削除致しました。悪しからず。

>今の西欧のセレブ層は、今も似た考えをしてそうな気がします。て陰謀論的ですけど。。

ご明察の通り、西欧の筋金入りの貴族の家系(称号)を持つ層、数百年続く商家、資産家の家系などは、露骨に口には出さないでしょうが、当たり前のようにそう思っているでしょう。同じ国民国家に属していても、upper class と working class では、日常に話す内容が違い、言葉さえも微妙に、しかし明確に違います。したがいまして、西欧のセレブ層が帰属意識、親近感を持つのは、「人類」とか「世界市民」のほうで、同胞の working class ではありません。西欧の貴族は、国境を超えて通婚してますので、他国の貴族は「身内」です。自国といっても赤の他人の worker に親しみを持てないのは当然です。ま、憐憫の対象ではあるでしょうが。現代でも、IOC(国際オリンピック委員会)なぞを仕切っているのは、この手の連中です。エスペラント運動などのパトロンになるのもこのグループですね。

投稿: renqing | 2024年12月 2日 (月) 13時09分

>西欧では、支配する人(貴族)には、「青い血」が流れ、支配される人(people)には、「赤い血」が流れていて、貴族と庶民では性交しても、子どもはできない、とまで考えられていました。

今の西欧のセレブ層は、今も似た考えをしてそうな気がします。て陰謀論的ですけど。。
それの「アジアの優等生」が、天皇とその国家・・・て気がしますよね・・。

投稿: 遍照飛竜 | 2024年12月 2日 (月) 12時14分

遍照飛竜 さま
コメントありがとうございます。

人と動物は異なり、動物にいろいろな異なりがあるように、人にも尊卑の異なりがある、というのが古今東西の人間観でした。従いまして、デモクラシー盛期の古典期アテネでも、アテネ市民(成人男性)以外の、女、子ども、奴隷、異国人、は異なりのある存在(生きもの)とされていました。
そして、古典期ポリス社会以外の世界では、成人男性にも、支配する人と支配される人の区別があり、それは、生まれ、門地で決定されていました。
西欧では、支配する人(貴族)には、「青い血」が流れ、支配される人(people)には、「赤い血」が流れていて、貴族と庶民では性交しても、子どもはできない、とまで考えられていました。

こういう人類史の流れの中で、東アジアの大陸王朝である、中華王朝では、10世紀末に北宋が成立し、本格的な皇帝科挙官僚制が動き出します。
ノルマン人によるイングランド征服(Norman Conquest)の百年前の出来事です。科挙官僚制はmeritocracy の一つであることは疑いようがありません。その意味では、宋王朝以降は、「初期近代 Early modern」と考えるべきだと思います。
従いまして、唐宋変革(五代十国)期が、一つの画期となっていて、この小国分立期に、大陸王朝において、武人政権によって、(結果的に)貴族政が一掃されたことが大きいでしょう。

投稿: renqing | 2024年11月29日 (金) 19時24分

そう考えると、宋の科挙や「皇帝独裁」での、実力主義的なシステムは、すごいのですよね。


投稿: 遍照飛竜 | 2024年11月28日 (木) 18時54分

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