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2025年1月

2025年1月29日 (水)

「音と温もり」の夢をみること/ Dreaming of “sound and warmth”

ChatGPTに、以下の質問をしました。ご参照して頂ければ幸いです。

Q.
「先天的全盲の人物は、就寝中に夢をみるのでしょうか。もし、夢をみるとしたら、どのような像(vision)となってその人物の脳裏にうかぶのでしょうか。」20250129

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2025年1月20日 (月)

Language as an Interface 〔Revised on 20250302〕

  Today, the diverse non-human species found across the Earth have undergone screening by natural selection pressures, evolving into species with highly fit bodies (phenotypes) that constitute the biosphere.

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2025年1月16日 (木)

世界人口の推移(19世紀以降)/ Trends in the world population (since the 19th century)

Worldpopulation180021001_20250116135801
上図は、File:World-Population-1800-2100.png - Wikimedia Commons 様から拝借しました。弊ブログの background color が紫のためとても視認しにくいので、マウスポインタを重ねてクリックしてください。明るく鮮明で大きなグラフが出てきます。それを見ながら弊記事を読んで頂けますと助かります。
 このデータから明らかに読み取れることは、下記の3点です。

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2025年1月13日 (月)

現代数学におけるお国柄(仏・独・英・露・米・日)/ The national character of modern mathematics (France, Germany, England, Russia, America, Japan)

ChatGPTへの問
20世紀以降の現代数学の達成において、フランス、ドイツ、イギリス、ロシア、アメリカ、日本、各国の数学者の学問業績に、国家毎の特色、その相互の違いが存在するのか、存在するとすれば、どのような違いなのか、教えてください。」

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2025年1月12日 (日)

《文明化》とは《家畜化》である/ Civilization is domestication

まず、いまから66年前に出版された本から引用します。

 私はアッサムの未開民族の地域を旅して、ヒマラヤに入ったときほど、高度な宗教政治組織をもつ社会というものがいかに、それを持たない社会と異なるものであるかを痛感したことはない。たとえ両者ともに私たちの生活水準から見れば、あまり違わず未開に見えようとも、そこには大きな違いがある。この違いをうまく説明することはなかなかむつかしいが、ここでチベット人の表現を借りよう。チベットはかつて仏教をもたなかった人々(彼らは野蕃人とよぶ)が仏教を知り、その信仰に入るということを、野生の動物家畜化するという表現と同じ語を使う。たしかに私の観察をもってしても、一言にしていえば、アッサムの未開民族を野生の動物にたとえれば、ヒマラヤの民族は、ヒンドゥ教徒やキリスト教徒とともに家畜に相当する。アッサムのジャングルからヒンドゥ教徒、あるいは仏教徒のいる地帯に入ったときに感ずるいいしれない安堵感といったものは、ぴったりそれに当る。もうここでは私の常識を逸して、意味なく殺されるというようなことは絶対に起こりえない、という、そして道は外の世界に通じているという解放的な安堵感である。封鎖的な未開民族の社会にいるときは、自分の育った社会的習慣、価値観をゼロにして、彼らのものに従わなければならない。それを不幸にして知らずに、彼らの心の動き、慣習の掟に反して触れようものなら、私はたちまちにして、彼らのたけり狂う本能の餌食にならなければならない。少しも休めることのできない神経と、想像力を使っていなければならない緊張感が、常に底流となって私の中で流れつづけていた。
 しかし、ヒマラヤは違う。仏教によって人々の本能はためられ、コミュニケーションの可能性によって、他の社会 -自分たちと異なる価値、習慣をもった- の人間がいるということを人々は知っている。精神は陶冶され知識は比較にならないほどその量をましている。ヒマラヤの人々が神秘で未開に見えるという人たちは、その人たちにチベット仏教や、その社会に関する教養のない故である。日本の、東洋の文化を少しも知らないヨーロッパ人が日本人を気味悪く思うのと同じことである。
 高度な宗教がその社会に定着したということは、未開から文明への重要なメルクマールとなる。私たちは十九世紀以降の西欧文明の飛躍的な発展に強く影響され、ともすれば文明とは近代ヨーロッパに象徴されるものと思いがちで、欧米が文明国であり、アジアはそうではないようにさえ思っているが、その一つ奥に、こうしたところに人間社会の未開と文明がはっきり見分けられることを忘れてはならない。特に長い人類の歴史において、人間の精神の成長過程を思うとき、この問題は大きな重要性をもってくるのである。
 アジア・アフリカ問題を取り扱うときにもこうした見方は、複雑な諸現象を理解する助けにもなろう。アジアの中でも、早くから中国、インドの高文化の伝播した蒙古、チベット、ヒマラヤ、東南アジア大陸部、インドネシアなどは、フィリッピン、その他の太平洋の島々、アフリカなどから、その文化、社会の質が大きく区別されなければならない。後者においては、いわゆるヨーロッパ諸国が外に発展し、征服につづく植民政策に伴ってキリスト教文化がプリミティヴな社会に直接浸透したのであり、高文化との接触の時期は前者に比して驚くほどおそく、その接触の仕方も非常に異なっている。アジアを考えるとき、この大きな相違が日本人ばかりでなく、欧米の人々にもあまり気がつかれていないようである。
 高文化の伝播及びその受容ということは、社会を単位として行われてはじめて実を結ぶものである。宗教においても、宣教師が未開民族地帯に入って行って、その社会のニ、三人の個人がキリスト教徒となったとしても、社会全体がキリスト教文化の複合体としてそれを受容しないかぎり、その個人の底流には依然、未開のままの地が残されているのである。その社会の過半数の人々が受容し、何世代も、何百年もそれが行われて、はじめて定着するものである。

出典:中根千枝『未開の顔・文明の顔』中公文庫1990年7月(元版:『未開の顔・文明の顔』1959年3月中央公論社刊)
pp.98-100、引用書の圏点はカラーフォントとした。下線は引用者(renqing)による。

 塩沢先生からご紹介のあった本は、既に翻訳が出ていました。

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2025年1月11日 (土)

Douglas MacArthur's “The Japanese at 12” (1951)

Well, the German problem is a completely and entirely different one from the Japanese problem. The German people were a mature race.

If the Anglo-Saxon was say 45 years of age in his development, in the sciences, the arts, divinity, culture, the Germans were quite as mature. The Japanese, however, in spite of their antiquity measured by time, were in a very tuitionary condition. Measured by the standards of modern civilization, they would be like a boy of twelve as compared with our development of 45 years.

Like any tuitionary period, they were susceptible to following new models, new ideas. You can implant basic concepts there. They were still close enough to origin to be elastic and acceptable to new concepts.

The German was quite as mature as we were. Whatever the German did in dereliction of the standards of modern morality, the international standards, he did deliberately. He didn’t do it because of a lack of knowledge of the world. He didn’t do it because he stumbled into it to some extent as the Japanese did. He did it as a considered policy in which he believed in his own military might, in which he believed that its application would be a shortcut to the power and economic domination that he desired …

But the Japanese were entirely different. There is no similarity. One of the great mistakes that was made was to try to apply the same policies which were so successful in Japan to Germany, where they were not quite so successful, to say the least. They were working on a different level.

Senate Committees on Armed Services and Foreign Relations (1951), p. 312

※以下のサイトを参照。
1)マッカーサー証言「日本人12歳」の真意: 井沢元彦『「言霊」解体新書』 | Misunderstandings can go both ways
2)Douglas MacArthur | kushima.org

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2025年1月10日 (金)

Liah Greenfeld の重要性/ The Importance of Liah Greenfeld

 Liah Greenfeld の社会科学者としての理論力、あるいは社会科学としての方法論は、概ね正しく、かつかなり有効だと私は考えます。社会科学において、「言葉」は一種の鬼門であり、社会科学にとって「言葉」をどう理論的に処理するかが、「社会の科学」の在り方を決定してしまうからです。

例えば、

『ヒトはいかにしてことばを獲得したか』2011年大修館書店 (認知科学のフロンティア) 、正高信男/辻幸夫共著

における正高信男の発言に象徴されています。


 正高は、聾唖の子どもの言語発達の研究をした際、子どもの保護者にインタビューした経験があります。そこで、俄かには信じられない発言を聞いています。それは、子どもの寝言です。私自身、幼少時、夜中に大きな声をだして、驚いた母親に起こされた体験から、他人事とは思えなかったせいもあり余計に印象的だったのですが。

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2025年1月 9日 (木)

リア・グリーンフェルド『ナショナリズム入門』2023年11月慶應義塾大学出版会/訳:小坂恵理, 解説:張 彧暋〔書評⑤〕

本書の議論で、私にとり、最も印象的で重要だと考える、理論的な指摘は2つあります。

◆1《社会的事実は象徴作用で出来ていて、したがってspacialな「構造 structure」ではなく、temporalな「過程 process」である》
◆2《言語は思考の媒体であり、経験は言語によってのみ「人間の現実」に組み込まれ「世界 Welt」の一部となる》

リア・グリーンフェルド『ナショナリズム入門』2023年11月慶應義塾大学出版会/訳:小坂恵理

以下、本書の該当箇所を引用致します。

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2025年1月 3日 (金)

大友克洋『童夢』1983年/ Otomo Katsuhiro, Domu: A Child's Dream, 1983

大友克洋『童夢』1983年双葉社。1983年、第4回日本SF大賞受賞、1984年、第15回星雲賞コミック部門受賞

「AKIRA」と並ぶ大友克洋の代表作です。私が今でも時折、読み返す版は、1983年12月第2刷ですから、今から40年前くらいに買ったものですね。

高島平団地を彷彿させるマンモス団地に変死・自殺事件が数年にわたり継続して起きています。そこに女の子が引っ越してきます。

事件を起こしていたのは、軽い認知症の老人。この幼児退行したような老人が超能力者で、新しく引っ越してきた少女も超能力の持ち主だったため、すぐに老人の能力行使に気づき、それを止めさせます。

しかし、それを逆恨みした子どものような老人が罠を少女に仕掛け、ある夜、凄惨な闘争とガス爆発事故が勃発します。

そしてラスト。団地の真昼間、衆人環視の場所で最終対決が始まり、大人は誰も気づきませんが、広場で遊んでいる子は遊びの手を止め、異変に気づいた部屋にいる子たちもベランダから広場を見下ろす中、イノセントな認知症の老人は広場のベンチで静かに息絶えます。

このとき団地の広場で、印象的な親子の会話があります。
「ママァ、ブランコの柱が折れちゃったよーッ」
「そんなもの折っちゃ駄目ですよ」

日本の漫画の作画術を一変した、とまで言われている名作ですので、是非、マンガ喫茶等でお読みください。講談社から全集版も発売しています。

大友 克洋 著、童夢 (OTOMO THE COMPLETE WORKS 8) 講談社刊、2022/1/21

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左 講談社版 右 双葉社版

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2025年1月 2日 (木)

民主主義指数/ Democracy Index

民主主義指数(Democracy Index)というものあることを知りました。2つの機関から公表されています。

英国エコノミスト誌の調査部門EIUEconomist Intelligence Unit

国別の順位(2023)でみますと、
1.ノルウェー
2.ニュージーランド
3.アイスランド
4.スウェーデン
5.フィンランド
6.デンマーク
7.アイルランド
8.スイス
9.オランダ
10.台湾

スウェーデンのV-Dem Institute

こちらも国別順位(2023) を示しますと、
1.デンマーク
2.アイルランド
3.エストニア
4.ベルギー
5.スイス
6.ニュージーランド
7.ノルウェー
8.スウェーデン
9.ルクセンブルク
10.フランス

◆日本、米国は?

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2025年1月 1日 (水)

自称リアリストたちは、「成長」の白昼夢を見るか?/ Do these self-proclaimed realists have daydreams of “growth”?

地球の半径は約6400km、円周は、約4万km。表面積は5.1億km^2。陸地面積は約1.5億km^2。海洋面積は3.6億km^2。この地球のサイズは人類が逆さになっても増やせません。

また、安田喜憲(環境考古学)によれば、地球の最大可耕地面積は21億ha、最大人口支持力は80億人。国連の世界人口推計で2022年には80億人を突破しています。

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