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2025年3月 2日 (日)

スラヴ・奴隷・奴隷制(2)/ Slav, Slave, & Slavery (2)

2020年7月30日(木)に、以下の弊ブログ記事をupしました。

スラヴ・奴隷・奴隷制/ Slav, Slave, & Slavery (1): 本に溺れたい

その続編である(2)を書かなければ、と思いつつ約5年間も放置する事態となっていました。本日ようやくその義務を履行できます。
しかし、その5年間のおかげで、生成AI(今回はChatGPT)というすごい resource を使える時代になっています。早速、英語語彙「Slav, Slave, & Slavery」の成立、その背景にある史実を ChatGPT に尋ねた結果(回答)が下記です。ご参照ください。


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ChatGPT's Answer

英語の「slave」や「slavery」という語は、スラヴ人(Slavs)が中世に大量に奴隷化された歴史的背景から生まれました。この語源は、スラヴ人が奴隷として取引されていた事実に由来します。

1. 英語語彙「slave」「slavery」の成立史

「slave」という単語は、13世紀後半に「他人の所有物である人」を指す意味で使われ始めました。これは、古フランス語の「esclave」から派生し、さらに中世ラテン語の「Sclavus」(スラヴ人)に由来します。この転義は、中央ヨーロッパのスラヴ人が征服によって隷属状態に置かれたことに起因します。

2. 背景にある社会・経済的な歴史的経緯

中世ヨーロッパでは、スラヴ人が奴隷として広範囲に取引されていました。特に、ヴェネツィアやジェノヴァなどのイタリアの商人は、黒海地域からスラヴ人を含む多様な民族を奴隷として中東のイスラム諸国に売却していました。これらの奴隷は、ヨーロッパ、アジア、アフリカの市場で高値で取引されていました。

さらに、イベリア半島のイスラム支配地域であるアル・アンダルス(711-1492年)でも、スラヴ人奴隷が大量に輸入され、国内市場や他のイスラム諸国への再輸出の中継点として機能していました。例えば、ウマイヤ朝の首都コルドバでは、数千人のスラヴ人奴隷が存在していたと記録されています。

これらの歴史的事実から、スラヴ人が奴隷として広く取引されていたことが、「slave」という語の成立に直接的に影響を与えたと考えられます。

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上記は、かなり簡略な記述になっています。その理由は、ChatGPTが on line の「情報源」を公開してくれていて、そのサイトの記述が詳細を極めており、わざわざ生成AIに質問しなくても、on line で誰でもアクセスできるからです。ChatGPTが紹介してくれている情報源を以下に記載しますので、より詳しい内容を探りたいかたはそちらに出向いて頂ければ幸いです。

参照 中世ヨーロッパの奴隷制度 jablog.org
このサイトは、十分信頼がおけると思います。100を超えるの脚注で専門文献を指示し、かつ最新の基本図書である、
The Cambridge world history of slavery vol.2 AD500-1420, edited by Craig Perry [et al.]Cambridge University Press, 2021
をも踏まえているからです。この第2巻だけで六百頁あり、円価で三万円もします。この本を参照できたら、本記事を書こうと思っていたのですが、懐と相談して躊躇しているうちに5年も過ぎてしまった、というのが今回の私の楽屋落ちです。お恥ずかしい(-_-;)。on line 上でこれより詳細な説明は求められないと思います。納得のいかない方は、上記の ケンブリッジ世界奴隷制史 第2巻を、図書館か、自弁で購入してお読みください。

豆知識を二つ。
1)千夜一夜物語(Alf laila wa laila/Arabian Nights)の挿絵に、白人奴隷が出てきますが、あれは、「ヴェニスの商人」が売り込んだ、スラヴ人である可能性は結構あります。

2)アフリカ大陸東海岸、”野生の王国”ケニアの南に、タンザニアがあります。そこに港湾都市ザンジバル(Zanzibar)があります。その名は、アラビア語の「ザンジュ」(黒人の意)に由来し、かつてアラブは東アフリカ沿岸部をザンジュの国と呼びならわしていたのです。ここは、古くからの交易都市で、象牙と奴隷(丁子プランテーション用)の集散地でした。19世紀の米人探検家スタンリー(Sir Henry Morton Stanley)を助けた、ティップ・ティプはそこで活躍したアラブの奴隷商人です。19世紀にはここの支配者のスルタンによって年間10万人の黒人奴隷が売買されたとのことです。近代の黒人奴隷問題においては、アラブ・イスラムはかなり問題となり得ます。

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