「力」から「道徳」へ: そのたゆみなく辛抱強い歩み
関曠野『歴史の学び方について』窓社1997、pp.21-2 より
東京裁判にせよ湾岸戦争にせよ、唯一ありうる論理は、「自由で公正な討論による社会の進歩を妨げる者に対しては、力による制裁も辞さない。そしてこうした力の行使だけを正当と認める」という論理である。そしてこれこそ、法の論理にほかならない。
「法は最小限の道徳」とは、十九世紀ドイツの法学者ゲオルク・イエリネックの有名な言葉である。しかし、国際法を含む人類の法制定の歴史は、イエリネックのこの言葉が不十分なものであることを示している。
法は実力と道徳のせめぎ合いの上に成立している。そして法の歴史は、最大限の力と最小限の道徳から最小限の力と最大限の道徳への、たゆみなく辛抱強い歩みを証言している。法の歴史は、力から道徳への人類の教育過程にほかならない。力による裏づけなしには法は効力をもたない。しかし法を法たらしめているのは、いつの日か人類は力ではなく道徳によって社会秩序を維持するに至るであろうという希望なのだ。法とは、この希望の別の名なのである。
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コメント
力なくて道徳は執行しきれない。
道徳無くては力の正当性・成果を得られない。
この関係って、中国兵法を読んでいたら、よくわかりますよね・・私はそう思ってます。
投稿: 遍照飛龍 | 2025年3月17日 (月) 11時51分