« Water in Living Organisms and Its Role in Entropy Transfer | トップページ | The Beginning of the End of the Postwar Regime »

2025年4月 8日 (火)

「戦後レジーム」の終りの始まり

ある意味で、冷戦終結以上の画期といえるでしょう。「GATT体制の終りの始まり」なのですから。IMF体制のほうはどうなるかまだ不明ですが。

自由貿易の旗手・米国、突然の「鎖国」宣言 戦後秩序に転機
日本経済新聞 電子版 2025/4/7

「小判ザメ民族の戦後の終り」(関曠野1985年11月)が、半世紀の時を経て襲来したと言ってもよいでしょう。

|

« Water in Living Organisms and Its Role in Entropy Transfer | トップページ | The Beginning of the End of the Postwar Regime »

近現代(modernity)」カテゴリの記事

日米安保 (Japan-US Security Treaty)」カテゴリの記事

米国 (United States of America)」カテゴリの記事

戦争 (war)」カテゴリの記事

Seki, Hirono(関 曠野)」カテゴリの記事

資本主義(capitalism)」カテゴリの記事

コメント

遍照飛龍 さま

いつもこのブログを気かけて頂き感謝しております。また、毎回のコメント、枯れ木に花が一輪咲いているようで嬉しいです。まめに応答せず恐縮です。

>「自由に鳥かごを離れて生きる」ことを堪能できるようになる。

エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』1941、ですよね。

徳川日本の時代、身分は厳然として存在していて、臣民たちはその枠組みを踏襲していましたが、一方で、武家や百姓、商人等の身分を超えた「ひと」の観念も成熟していた、と思います。なぜなら、19世紀前半の徳川日本には、学芸、や文芸、遊び、武道を媒介として身分を問わない結社が族生していたからです。そこには、freedomやlibertyと遜色ない《自由》が自覚的に意識されていたと思います。おそらく、《自由》の思想も。

結局、明治constitution は、倒壊寸前の徳川《大公儀》を転覆し、自分たちが「統治者」として統治しやすいように、臣民の「自由」の上位に、「天皇」を置き、事実上、臣民の「自由」を骨抜きにした。彼らが恐れた、徳川19世紀には育ち始めていた「人民の自由」を封じ込めに成功した、ということなのだと思います。

投稿: renqing | 2025年4月 8日 (火) 15時03分

同感です。

「自分で考えない~自分で責任を取らない~弱い立場の人に責任を押し付ける」って明治朝天皇以来の悪弊を続ける限りに、日本は終わるでしょうけど。

同調圧力に苦しめられながらそのぬるま湯を堪能してきた「甘さ」はもう許されない。
でも「自由に鳥かごを離れて生きる」ことを堪能できるようになる。。

て楽観しすぎでしょうかね。

投稿: 遍照飛龍 | 2025年4月 8日 (火) 12時29分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« Water in Living Organisms and Its Role in Entropy Transfer | トップページ | The Beginning of the End of the Postwar Regime »