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2025年5月 5日 (月)

ラプラスの悪魔 / Laplacescher Geist / démon de Laplace (2)

(1) より、

よく考えると、ラプラス自身が「ラプラスの魔」などという訳がありません。当然、ラプラスより後世の人物がラプラスの議論を使ったとき、どう命名するかが問題です。今回、少し調べたのですが、「ラプラスの魔」の出典(文献)について明確に記述しているものはネット上ではありませんでした。そこで仕方なく、自分で決着をつけることにしました。以下がその一応の結論です。


◆1 誰が最初に言ったのか?
Boisreymond これについては、ネット上で判明しました。Emil Heinrich du Bois-Reymond(デュ・ボア・レイモン、1818-96)です。wikipedia「ラプラスの悪魔」(日本語版)に記載されていました。この人物、スイスの時計職人の父、フランス・ユグノー末裔の母のもとに、ベルリンで生まれています。どうりで、ドイツ人(ベルリン大学生理学教授)なのに、名前はフランス風。独仏のバイリンガルなのでしょう。ただし、そのwiki記事には、出典(文献)までは記されてはいませんでした。en , de のwiki には、この人物の名さえ記載されていませんでしたが。

 

◆2 出典は?
du Bois-Reymond, Emil Heinrich,  Über die Grenzen des Naturerkennens / Die sieben Welträthsel, LEIPZIG, Verlag von Veit & Comp, 1891
デュ・ボア・レーモン(坂田徳男 訳)『自然認識の限界について/宇宙の七つの謎』
岩波文庫, 1928年(1988年15刷で確認)

に収められている、'Über die Grenzen des Naturerkennens '「自然認識の限界について」という1872年の講演です。何か所か同じ表現がありますが、代表的なものは下記でしょう。

・・・, so könnte der von LAPLACE gedachte Geist durch geeignete Discussion seiner Weltformel uns sagen, wer die eiserne Maske war oder wie der 'President' zu Grunde ging. Wie der Astronom den Tag vorhersagt, an dem nach Jahren ein Komet aus den Tiefen des Weltraumes am Himmelsgewölbe wieder auftaucht, so läse jener Geist in seinen Gleichungen den Tag, da das Griechische Kreuz von der Sophienmoschee blitzen oder da England seine letzte Steinkohle verbrennen wird.
(Leipzig1891, p.18)

実際星学者が、ペリクレスがエピダウルスに向って船出したとき、太陽がピレウスの港に対して暗黒になったかどうかを知るためには*1、その月方程式*2の中の時間に、あるきまった負値を与えるだけで用がたりる様に、ラプラスの想像した魔は、彼の宇宙式を適当に按配することによって、鉄仮面とよばれる人*3が誰であったのか、又どういう風に「プレジデント」号*4が沈没したのかを吾々に告げることができるであろう。丁度、星学者が幾年もののちに一つの彗星が宇宙の深みから再び天蓋に現れてくる、その日を予言するように、ラプラスの魔は希臘式の十字架がセントソフィア寺院*5から再び輝くであろう日や、英国がその最終の石炭を燃焼しつくす日をその方程式の中で読みとるであろう。
(岩波文庫版pp.29-30
訳者註。*1 ペリクレスがペロポンネソス戦争の際に、アテネの港ピレウスから乗船したときのことである。この日食は西暦前430年8月3日に起ったと記されている。*2 月方程式というのは、ある瞬間に於いての月の運動と、その他の天体に対する相対的位置とを知る時には、過去、未来のいかなる瞬間に於ける月の位置も、精確に決定できる様な方程式をいう。 *3 レスタンの名をもって知られる人。ルイ14世のために獄に投ぜられたが、果して誰が真正の彼であるか遂に判明せず、少なくとも9人のちがった人がレスタンであると申告されたという。 *4 1841年3月11日、リバプールに向けてニューヨークを出帆しながら、その後消息が知られない汽船のことである。 *5 1453年回教徒が占領するまで希臘カトリックの寺院であった。

◆intelligence, Geist, or démon?
ラプラス本人は「intelligence 知性 」と表現しています。デュ・ボア・レーモンも「Geist 精/妖精/霊魂」ということで、人知を超えた super な存在、というニュアンスでしょう。しかし、なぜ (悪)魔、となったのかはわかりません。

物理学者マクスウェルの本(Maxwell,J.C. Thory of Heat, 1871)の中に出てくる空気中の分子を自由に振り分ける being(存在)を、ケルビン卿が1874年の論文で、Maxwell's intelligent demonと呼称し出し、その後すっかり定着してしまいます。

そこで、おそらく、ラプラスの英訳か、デュ・ボア・レーモン の英訳が出る際、 それに影響されて、Laplace's demon と英語表記され、それが独仏に逆輸入された、といった経緯ではないかと私は推測します。 どなたか詳細をご存じの方があれば、コメントを頂ければ幸いです。

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