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2025年6月 2日 (月)

アルフレッド・シュッツ「《責任》という概念におけるいくつかの曖昧さ」1957年

◆ブログ主の注釈
以下は、

Alfred Schutz (1899-1959), "Some Equivocations of the Notion of Responsibility."
in Determinism and Freedom, Edited by Sidney Hook, New York University Press, New York, 1958, pp.206-208

を、ChatGPTで日本語訳したものです(一部、ブログ主により改稿)。日本語訳の初出は、

A.シュッツ(監修/中野卓,訳/桜井厚)『現象学的社会学の応用』御茶の水書房, 1980年, pp.278-282

です。

私がこのエッセイを上記の桜井厚訳で読んだのは、30年ほど前です。一読して、その最後の文に強く感銘を受けました。
これは、1945年における大日本帝国臣民たちが、叫ぶべき言葉だと思ったのです。もし、シュッツの言葉を当時の帝国臣民が叫ぶとしたら、以下の言葉となるでしょう。この問責が実現していない、ということは、本質的に日本の《戦後》はいまだ終わっていないことを示しています。
極東軍事裁判で、大日本帝国および帝国陸海軍の指導者が外国勢力に責任をとらされるのは、かれらが帝国臣民に責任をとることとは別のことなのである。

◆アルフレッド・シュッツ「《責任》という概念におけるいくつかの曖昧さ」1957年

責任の問題についての我々の議論は、主に次の問いに関わっていた。すなわち、「ある人が、彼の行為または不作為について、法的または道徳的観点から、いかなる根拠に基づいて責任を問われ得るのか?」ということである。この意味における責任の帰結は、「処罰の加えられること」であり、ただしここでいう「処罰」は、非難、批判、譴責などを含む広い意味で理解されるべきである。

しかし、このような広い意味で用いたとしても、「責任がある(to be responsible)」という概念には二つの異なる意味が含まれ得る。一つは、「人は自らが行ったことについて責任を負う」という意味であり、もう一つは、「人は誰かに対して責任を負う」すなわち、彼に対して責任を問う人物、集団、または権威に対して責任を持つ、という意味である。

「〜に対して責任がある(being responsible for)」という用法と、「〜に対して責任を負っている(being responsible to)」という用法の区別は、もう一つの「責任(responsibility)」という概念における曖昧さを考慮に入れると、特に重要な意味を持つようになる。すなわち、それは三人称(あるいは二人称)の観点からの使用と、一人称の観点からの使用とのあいだの違いである。

私は次のように主張する――「この人はこれこれについて責任がある」というタイプの命題で「responsible(責任がある)」という語が用いられる場合と、「私はこれこれについて責任を感じている(たとえば、自分の子どもたちの適切な教育について)」というタイプの命題で用いられる場合とでは、「責任」という概念そのものがまったく異なるものになっている。

さらに私は、これら二つの「責任」の概念は完全に一致することはあり得ず、したがって、責任の問題についてのいかなる哲学的分析も、その主観的側面を考慮に入れない限り、不完全なものにとどまると主張する。

一人称における「責任を感じる(feeling responsible)」という概念に対して「主観的側面(the subjective aspect)」という表現を用いることで、我々は現在では社会科学において一般的となっている、しかしながら不幸な用語法を採用していることになる。すなわち、人間の行為、人間関係、人間状況における「主観的意味」と「客観的意味」の区別である。

この区別を方法論の基礎に据えたのはマックス・ヴェーバーである。ここで言う「主観的意味」とは、ある行為がその行為者にとって持つ意味、あるいはある関係や状況が、それに関わる人々にとって持つ意味を指す。「客観的意味」とは、同じ行為・関係・状況が、それに直接関わる人間関係の相手や日常生活の観察者、あるいは社会科学者や哲学者といった第三者にとって持つ意味である。

しかしこの用語法は不幸である。なぜなら「客観的意味」という言葉は明らかに不適切だからである。というのも、いわゆる「客観的」解釈もまた、結局はそれを行う解釈者の特定の態度に依存しており、その意味でやはり「主観的」であると言わざるを得ないからである。

責任の主観的意味と客観的意味との違いを詳述するには、相当な長さの分析が必要となるが、ここではごく簡単な所見にとどめたい。

もし私が、自らの行為や不作為について、他者から責任を問われることなく、ただ主観的にのみ責任を感じているとすれば、その過失の結果は、誰かによって下される譴責や批判、非難、その他の形の処罰ではなく、後悔、悔恨、あるいは悔悟というかたちで私自身の内に現れることになる。神学的な用語を用いれば、それは「不完全な悔い(attrition)」ではなく「完全な悔い(contrition)」である。

このようにして生じる悲嘆、苦悶、心の痛みといった状態は、現象学的には精神分析用語における「罪悪感(guilt-feeling)」とはまったく異なる「本当の罪の意識(sense of guilt)」の徴である。それは、何かをしてしまった、あるいはしなかったことに対する責任感と、その過去を取り戻すことができないという事実とのあいだに生じるものである。

アイスキュロスの『慈しみの女神たち(エウメニデス)』におけるオレステスは、アレオパゴス評議会の裁判官たちが黒と白の票を等しく投じたにもかかわらず、復讐の女神たちを女神が和解させるまで救済されなかった。

現代においても、ある卓越した科学者たちは、原子兵器の開発に協力したことに対して、国家からの感謝と栄誉を受けながらも、深く根差した責任感に苦しんでいる例が見られる。

他方で、私が自らの良心に従ってある行為をなしたとしても、それが法によって責任を問われることがある(アンティゴネーの葛藤がその一例である)。ここにおいて、「何かについて責任がある」ということと、「誰かに対して責任を負っている」ということの区別が新たな光のもとに浮かび上がってくる。

私は、ある特定の事態について自分が責任を有するという他者の判断に同意しつつも、その行為について私は政府ではなく、ただ神または自らの良心に対してのみ責任を負っていると主張することがありうるのである。

これらは、責任の主観的意味と客観的意味とのあいだにある複雑な根底的弁証法を示す一例にすぎない。しかし、同じような弁証法は、規範が規範の制定者(the norm-giver)と規範の受け手(the norm-addressee)にとって持つ意味のあいだにも存在している。

あらゆる法は、立法者にとって、法律の適用を受ける者(法を守る市民および法を破る者)にとって、法を解釈する裁判所にとって、そしてそれを執行する行政官にとって、それぞれ異なる意味を持っている。

義務(duty)もまた、私が自律的に定義する場合と、外部から課される場合とでは、まったく異なる意味を持つ。

法と倫理における決定論の問題全体も、それが主観的な観点から定式化されるか、客観的な観点から定式化されるかによって、まったく異なるかたちで答えられることになるであろう。

前述の議論は、法・価値・道徳・責任の主観的意味と客観的意味との弁証法を、もっぱら個人の視点から扱ったものであった。しかし、同様の弁証法は、集団間の関係というレベルにおいても繰り返される。

サムナーによる古典的な「内集団(in-group)」と「外集団(out-group)」の区別を採用すれば、たとえば「責任」という概念も、内集団が自らの行為に対して責任を認め、その構成員の一部に責任を負わせる場合と、外集団がその内集団およびその構成員に対して不正行為の責任を問う場合とでは、まったく異なる意味を持つと言える。

たとえば、ニュルンベルク裁判においてナチスの指導者たちが連合国によって責任を問われたことと、彼らがドイツ国民自身によって責任を問われることは、全く異なる意味をもつのである。

※参照
責任観念の多義性(2)/ Some Equivocations in the Notion of Responsibility(2): 本に溺れたい〔2007.03.08〕

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コメント

遍照飛龍 様

コメントありがとうございます。

>学術の世界でも無言や実体の圧力があったり

多分、何らかの嫌がらせ(無言電話とか、自家用車のボンネットの上に人糞を置かれるとか?)などのリスクを警戒して、反論可能な「天皇の戦争責任」は言説化しても、「天皇の敗戦責任」には言い及ばなかったのか? ちょっとわかりませんが、昭和天皇は大元帥だったわけですから、「臣民に対する敗戦責任」の追及なら、昭和天皇、およびその擁護者たちを論理的に追い込んで、退位くらいにはさせられたのではないか、と私は思います。

大日本帝国憲法の発布勅語には、「臣民ナルヲ念ヒ其ノ康福ヲ増進シ其ノ懿徳良能ヲ発達セシメム」とお約束してくれたのに、敗戦によって臣民を塗炭の苦しみに突き落とした、訳ですし。「朕と共に日本再建に頑張ろう!」なんて雰囲気は、戦後1,2年間は、皆無だったと思います。

投稿: renqing | 2025年6月 3日 (火) 02時01分

どう考えても

「天皇とその国家が、日本人に責任を取って無い」

のは明白なのに、その辺の指摘がマジで日本では無いか稀ですよね。。

その辺は、学術の世界でも無言や実体の圧力があったり、あるいはその辺の知力だけ局所的に劣悪なのか、どっちかでしょうね。

投稿: 遍照飛龍 | 2025年6月 2日 (月) 12時45分

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