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2025年8月29日 (金)

GPT-5 は雑誌記者を不要にする / GPT-5 will make magazine reporters obsolete

AIが万能の下請け業者に、システム開発の多重下請け構造は今度こそなくなるか | 日経クロステック(xTECH)

上記の記事は、雑誌コラムをChatGPT(GPT-5モード)に「AIが万能の下請け業者に、システム開発の多重下請け構造は今度こそなくなるか 」というテーマで書かせた実例です。これを書かせた記者の最終的意見は、
「要するに私が書く必要は全くなくなってしまった」
とのことです。

私もつい先日、ChatGPT に「《親密圏 Sphere of Intimacy》の思想史」を書かせたばかりでした。私のテーマは、もう少しオタク系なので、古代/中世にもう少しツッコミが必要かな?、と思いましたが、私が不案内の現代については、私にとり必要かつ十分でした。コラム記者の結論、
「知的作業はAIがすべて担うようになる。自動化がとことん進むのだ。私たちは人間にしかできないことを探していかなければならない。」
に深く頷かざるを得ません。

すでに、AIは知的創造力を獲得しつつあります。しかしその驚きは、膨大ではありますが、すべて既知のデータベースから創出したものです。したがいまして、簡単に個人の知識容量を凌駕するのは当然といえば当然です。なぜなら、個人の知識は既知の知識で埋め尽くされているに過ぎないからです。既存知識で競争するなら、個人が生成AIに太刀打ちできる訳がありません。

一方で、既存知識とは言っても、AIのそれはデジタル化された限りでの森羅万象の知識です。つまり、人類知識史(古代メソポタミア文明から起算して)8千年の内の、高々30年分です。人類がこれまで生成した知識の0.4%弱に過ぎません。

また、当然ではありますが、個人が創造するであろう新知識はデジタル化されてない訳ですから、それを生成AIは利用できません。

以上から、生成AIが標準実装された時代における《知的作業》には、二つの階層 layer があることになります。

第1階層(下層)AIが圧倒的に強い、既存デジタル知識の網羅的統合化とそのデジタル表出(言語/画像/動画)

第2階層(上層)AIにアクセス不可能な、未デジタル化状態の、人類知識史上の過去の文物に関する知識の統合とその表出。
および、個人が創発する新知識の統合とその表出。

2025年以降の人類史における知的成果は、AIを上手に使役したうえで、何度でも試行し、何度錯誤してもその痛みを厭わない(AIにはできないだろう?)、agile かつ resilience な創造的個人たちによって創発されていくだろう。これが今のところの私の小括です。

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コメント

やはりAI以前の

人間の価値観・思想・信仰・・のが肝心でしょう。

どうも今の日本はそれが一番弱い気がします。教育も「技能・技術・知識」だけで、それを使い考え感じ実行する・・てあまりないですし。
そのような「哲学・生き方」が、脆弱なのが、今の日本の衰亡の一因かもって。

投稿: 遍照飛龍 | 2025年9月 2日 (火) 20時56分

遍照飛龍 様

いつもコメントありがとうございます。
連日の殺人的酷暑、ご自愛ください。

ご指摘のように、所詮AIも、machine です。電源のソケットを抜けばブラックアウトしてしまう代物(バッテリーがあっても時間の問題)です。

だから、炭化水素系エネルギー源(原油、天然ガス、石炭)が枯渇し始め、エネルギー価格(電力/ガソリン、重油)が急上昇し始めたら、人類は限られた資源(電力)配分を選択する岐路にたたされるでしょう。

列島内を複数の拠点都市を中心とする人口分散型文明にしたうえで、鉄道、バス、病院、学校、警察等の維持、運営に重点配分するのか。

あるいは、東京一極集中型文明のまま、複数の原発や大規模発電所による巨大電力を利用して、林立する超高層ビルのエアコンの効いたオフィスの中で、世界中を相手とする、巨額の金融取引や莫大な電力需要を生み出すAIビジネスを繰り広げるのか。

これは、人間の生き方の選択の問題、どんな生を幸福と感じるかの選択の問題です。

世には、活力を漲らせ、強欲を膨らませて生きている人々、あるいは己の身体を運命に投企することでしか生を実感できない人々もいます。

その一方で、自分の身のまわりの、家族、友人、知人たちとの落ち着いた交流や親密な交わりに生の時間を多く割きたい、と願う人々がいます。

世の価値観がどちらに天秤を傾けるかが、道具としてのAIの使い方を結局は決定するのだ、と思います。

投稿: renqing | 2025年9月 1日 (月) 14時32分

私は、なぜかAIにそんなに関心が無いです。

大した知識が無いのもありますが、それで人間は幸いになれるはずでもない。

それを用いて「格差縮小」とかやるわけでもないし。いじめ撲滅にAIをフル活用するわけでもない。

技術を使う人間の腐敗や強欲を話して糾弾が出来ないのに、AIごときで何ができるのかな。って。

投稿: 遍照飛龍 | 2025年9月 1日 (月) 10時30分

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