AI、という強力な馬の手綱を引くのは、やはり人間である:It is still humans who hold the reins of this powerful horse called AI
AI ついて、近未来を描くのにとても参考になる記事がありました。下記。
生成AIは自身が学ぶための道具 ソフト開発の賢人、ケント・ベック氏が語る極意 | 日経クロステック(xTECH)
上記記事から、ケント・ベック氏の言葉を引いておきます。
AIを「とても力が強い馬」だとすると、その馬に乗る者がきちんと手綱を握らなければなりません。AIがどれだけ賢くても、それをどう使うかを判断するのは人間です。
生成AIを使うと思考力が衰えるという意見もありますが、それは使い方次第でしょう。私は生成AIを、成果を出すためではなく学ぶための道具として使っています。重要なのは「何を学んだか」を常に問い直す姿勢。ツールに振り回されるか、自分の成長のために活用するかはユーザー次第です。
多くの作業がAIで代替できるようになった半面、本当に重要な能力、例えばプロジェクトやマイルストーンの設定、優先順位の判断などは、以前にも増して価値が高まっています。つまり、単純作業の価値は下がりましたが、判断力や創造力の価値は劇的に上がったということです。
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コメント
チーム未来の安野氏は、オードリータンに及ばないのは、その人文社会とかの教養が無いこととか
https://x.com/ishisaka/status/1942865183581561323
日本のAIや理系技術者は、せいぜい「AI」の使い走りに過ぎない。
そんな人間ばかりを「広陵高校事件」でもわるように意図的に作ってきたのが、帝政日本であると思います。
投稿: 遍照飛龍 | 2025年9月 2日 (火) 21時15分