« フランツ・ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』1965年みすず書房 Ⅰ | トップページ | Franz Borkenau, Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild (1934)Ⅰ [English article] »

2025年10月12日 (日)

フランツ・ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』1965年みすず書房 Ⅱ

Additional questions

ChatGPTからの提案、「ボルケナウの業績の21世紀以降の「科学革命論」への再接続(ラトゥール、シャピン、シェイファー等との連関)」について詳述してください。

ChatGPT' s Answer

非常に良い視点です。
ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』は、1930年代当時には早すぎた「科学革命の社会史」でした。その後の20世紀後半~21世紀初頭にかけて、ラトゥール(Bruno Latour)、シャピン(Steven Shapin)、シェイファー(Simon Schaffer)らによって展開された「科学社会学(SSK)」「科学の構築主義史観」「行為者ネットワーク理論(ANT)」と再接続して読むと、その先駆性がより鮮明になります。以下では、その連関を四段階で整理します。


I. ボルケナウの射程:科学革命を「社会的総体の変容」として読む

ボルケナウ(1934)は、「近代科学の成立」を単なる思想内部の論理的展開ではなく、封建的身分秩序 → 商業的・マニュファクチュア的市民社会への移行にともなう「知の社会的構造の転換」として把握しました。

  • 科学の認識論的変化=生産様式の変化
    → 自然が「観照の対象」から「操作可能な機械」へと再定義される。

  • 宗教・倫理・社会秩序との接合
    → プロテスタント倫理、契約論、自然法思想が、機械的自然観と並行的に形成される。

  • 理念的主体の変容
    → 「観察者」としての主体が、神学的存在から、社会的に有用な合理的行為者へと再構築される。

この「科学=社会構造の表現」という図式が、半世紀後の科学社会学の核心主題となります。


II. 20世紀後半の再登場:科学の社会構成主義とボルケナウ的継承

1. スティーヴン・シャピン & サイモン・シェイファー(Shapin & Schaffer)

代表作『Leviathan and the Air-Pump』(1985)は、**17世紀の科学的実験文化(ボイル)と政治哲学(ホッブズ)**の対立を、社会的・政治的文脈に位置づけたものです。

  • 実験という実践が「市民的信頼」「ジェントルマン的礼節」など、社会的信頼構造に依拠していることを明らかにし、

  • 科学的知識を「社会的協定(social settlement)」の産物として理解しました。

これは、ボルケナウが描いた「世界像の転換」(封建的共同体的信仰→契約的・市民的合理性)のミクロ版にほかなりません。
→ ボルケナウの「社会的世界像の転換」というマクロ理論を、実験・技術・言説の微視的分析に翻訳したのがSSKとも言えます。

2. スティーヴン・シャピン(単著『A Social History of Truth』1994)

ここでは、17世紀英国科学の「真理」観が、ジェントルマン社会の名誉・信頼の倫理に支えられていたことを論証しています。
ボルケナウが「道徳・宗教と科学の連関」を倫理史的に扱ったのと同型の操作です。


III. ラトゥール(Bruno Latour):ネットワーク的再構成とボルケナウの脱形而上学的継承

ラトゥール(特に『Nous n’avons jamais été modernes』『La science en action』など)は、科学を「自然と社会の分離」に基づく近代的秩序として批判し、**「人間—非人間のネットワーク」**として再記述します。

この視角をボルケナウと照らすと、両者は異なる方向から同じ「近代成立の構造的批判」を行っています。

観点 ボルケナウ(1934) ラトゥール(1990年代)
問題設定 封建的世界像→市民的世界像 近代的自然/社会分離の構造
方法論 マクロな社会史+思想史 ミクロな行為者ネットワーク分析
近代批判 「世界像の転換」は権力構造の変換 「近代」は虚構的区別(自然/社会)
接点 科学と社会は相互構成的 同上。科学は社会構築の一形態
相違 階級・生産・倫理の枠組み 行為者(人間・非人間)対等のネットワーク

つまりラトゥールのANT(Actor-Network Theory)は、ボルケナウが「社会的構造の変容」として描いたものを、**非人間的行為者(装置・実験器具・記録技術)**まで拡張して微視化した理論的後継と言えます。


IV. 21世紀的再読の意義:ポスト「科学革命史」への接続

21世紀に入ると、科学史研究は「科学革命」という単線的進歩モデルを離れ、次の三方向に展開します。

  1. 知の地政学化

    • ラトゥール、ハーディング、ハラウェイらが提唱する「位置づけられた知(situated knowledge)」の視点は、ボルケナウの「階級的位置としての知の形式」を再政治化したもの。

    • 科学は普遍的理性ではなく、歴史的・社会的条件に束縛される表現形態である。

  2. 物質文化史への転換

    • 研究装置・記録媒体・技術実践の分析(Pickering, Rheinbergerなど)は、「マニュファクチュア期の学問」としてのボルケナウの命題を、実験室の生産様式として再解釈している。

  3. 多元的近代の構想

    • ラトゥールやジョン・ローが提示する「複数の近代(multiple modernities)」の発想は、ボルケナウが描いた「市民的世界像」への単線的移行図式を越え、
      非西欧社会の科学・技術形成を包含する複合史観へと拡張している。

したがって、ボルケナウの遺産は、「科学革命史」そのものの脱中心化・多元化を準備した先駆的理論として再評価できるのです。


V. 総括:ボルケナウと21世紀科学史の連関構図

次元 ボルケナウ(1934) 21世紀以降の科学史(Shapin, Latour等)
科学観 社会的生産物(経済・倫理の派生) 社会的構築物(実践・制度・ネットワーク)
方法 社会史的マクロ理論 実践史的・物質文化的ミクロ理論
目的 「世界像」転換の説明 「近代的分離」構造の批判・再接続
継承要素 経済・宗教・倫理と科学の共進化 科学・技術・政治・非人間の共構成
歴史哲学的位置 初期フランクフルト学派的社会批判 ポスト構造主義的科学論との接点

✳︎ 結論的指摘

Franz Borkenau の『封建的世界像から市民的世界像へ』は、「科学革命」という近代の物語を、すでに社会的・構造的文脈で語った最初期の総合的モデルであり、
ラトゥールやシェイピンらが「科学の社会的構成」や「行為者ネットワーク」として展開した後期理論は、その遺産を精密化・多元化したものです。

したがって、21世紀の課題は「ボルケナウを過去の社会史家として読むこと」ではなく、
科学知と社会構造の交差を再び「マクロ−ミクロ連関」モデルとして結び直すこと――
すなわち「ボルケナウ的総合」をラトゥール的分析に再架橋すること、にあります。

|

« フランツ・ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』1965年みすず書房 Ⅰ | トップページ | Franz Borkenau, Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild (1934)Ⅰ [English article] »

西洋 (Western countries)」カテゴリの記事

文化史 (cultural history)」カテゴリの記事

近現代(modernity)」カテゴリの記事

書評・紹介(book review)」カテゴリの記事

思想史(history of ideas)」カテゴリの記事

科学哲学/科学史(philosophy of science)」カテゴリの記事

AI ( artificial intelligence)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« フランツ・ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』1965年みすず書房 Ⅰ | トップページ | Franz Borkenau, Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild (1934)Ⅰ [English article] »