渡邉雅子『論理的思考とは何か』(岩波新書,2024年)
書評:渡邉雅子『論理的思考とは何か』(岩波新書,2024年)
◆1.内容(各章の要約)
序章 西洋の思考パターン 四つの論理
本書は、著者自身の米国留学時の経験を出発点とし、「論理的思考とは何か」という問いを立てるところから始まる。米国大学で提出したエッセイ課題が「採点不可能(評点不可能)」と判断されたというエピソードを通して、「文章の形式・型」が論理性を左右するという問題系を提示する。著者は、「論理的であること」は一律のモデルで説明できるものではなく、文化や目的によって型が異なる可能性に注目する。
このような問いをもとに、以降の議論で「複数の論理モデル」「論理と思考の関係」「異なる文化間のズレ」などを扱うための基盤を置く。
第1章 論理的思考の文化的側面
第1章では、「論理的思考」の文化的・歴史的背景を概観する。形式論理(論理学)、修辞学(レトリック)、科学的思考、哲学的思考など、思考・論証を扱う古典的枠組みを紹介しつつ、それらがどのように現代的な論理思考の源流を成しているかを解説する。特に、形式論理の普遍性・限界、自然言語における曖昧性、説得/弁証法といった論証スタイルの多様性を軸に、「論理的思考とは何を指すか」が固定化できない複雑性を示す。
この章は、本書が「論理的思考を単一モデルで捉えない」という立脚点を明示する役割を果たしている。
第2章 「作文の型」と「論理の型」を決める暗黙の規範 ― 四つの領域と四つの論理
第2章では、具体的な「作文教育」と「論理の型」の結びつきが論じられる。著者は、アメリカ式エッセイ(結論先出型)、フランス式ディセルタシオン(正-反-合型)、イランのエンシャー(形式秩序型)、日本の感想文・意見文型、という四つの作文スタイルを取り上げ、それぞれがどのような論理的思考の形を育んできたかを分析する。さらに、これら四つの作文様式が、それぞれ「経済」「政治」「法技術」「社会」という思考領域と対応しているという仮説を提示する。つまり、思考目的(領域)に応じて適した論理模式が選ばれてきたというモデルを描く。
この章は、本書の中心的枠組みを構築する。論理的思考は、教育制度・文化的土壌・思考の目的(分野)から影響を受けるという視座を提供する。
第3章 なぜ他者の思考を非論理的だと感じるのか
第3章では、他者の思考を「非論理的だ」「ズレている」と感じる原因を掘る。前章で示された複数の論理モデルのズレが、実際に異文化・異領域間対話や議論の場面で「理解不能」「非論理性」と評価される摩擦を生むと論じられる。また、人は無自覚にある論理モードを前提に考えてしまい、それが異なるモードを使う相手を誤読する原因となる。つまり、論理モードの自覚と切り替え能力が、コミュニケーション上の葛藤を緩和する鍵である、という方向に議論が進む。
さらに、第3章では、論理モードの切り替えが可能な「多元的思考」の手がかりも探られ、思考実践をめぐる具体例が交えられる。
終章 多元的思考 ― 価値を選び取り豊かに生きる思考法
終章では、「多元的思考」というテーマを軸に、読者に対して「価値を選び取りながら論理モードを使い分けること」の重要性を訴える。論理は常に選択されるものであり、目的・場面・文化に応じて最適な型を選ぶことが思考的成熟を意味する。著者は、論理性を絶対視せず、むしろ論理モードを意識的に切り替える主体性を獲得することこそが、変動する現代社会で豊かに生きる思考法だと結論づける。読者への問いかけとして、「あなたはどのモードを、どこで使うか」を問うことで、思考の自由度と批判性を育てる意図を打ち出す。
◆2.本書の優れている点
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論理モデルの多様性を提示する枠組みの構成力
単一モデル志向を批判し、「四つの論理モード」とそれらが対応する分野を明示する枠組みはわかりやすく、読者に「論理とは選択されるものだ」という視点を与える。 -
教育・作文という具体的素材を用いた議論の説得力
抽象的な理論論だけでなく、各国の作文教育や文章スタイル差異と論理思考の対応を丁寧に論じており、理論と実践を架橋する論述が読者を引き込む。 -
思考モードの自覚と切り替え可能性を重視する観点
単なる比較文化論や批判に終わらず、読者に思考スタイルを意識し、切り替える可能性を訴える点が実践的で力強い。
◆3.本書の問題点、あるいは疑問
-
四モード分類の根拠・境界未論証な部分の存在
四つの論理モードという枠組みは魅力的だが、その選定根拠・モード間の曖昧境界・他モード排除の正当化が十分に議論されているとは言い難い(たとえば、「四で収まり切らないモードはないか」という反省もある)。 -
理論基盤(論理学・議論学・認知科学等)との接続弱さ
文化比較を主軸とする性格ゆえに、形式論理・議論理論・認知的制約といった隣接分野との接続が薄く、読者が「本当に論理とはここまで揺らぐのか」という懐疑を抱きやすい部分がある。
◆4.著者の本書における課題と、未来への課題
本書の中心課題は、「論理的思考とは何か」という問いに対して、比較文化的視点をもとに多元性を前面に出しつつ、それでも読者が実際に使える思考の道具立てを示すこと、すなわち理論的理解と実践的適用をつなぐ説得的モデルを構築することにある。
未来への課題として、
-
四モードモデルをどのように批判可能かつ拡張可能なモデルとするか
-
各モード間の移行・折衷やハイブリッドの型をどのように想定するか
-
分野横断的・越文化的な応用可能性をモデル化できるか
が考えられる。
◆5.評者からの評価(課題達成への視点から)
本書は、その課題に対して比較文化的枠組みを提示し、読み手に思考モードの自覚を促す点で大きな価値をもつ。「論理は唯一絶対ではない」という刺激的な主張を、多くの事例とともに論じた点は評価に値する。ただし、四モード枠組みをより堅牢にする説明や批判的検討が弱い点は改善の余地がある。理論基盤との補強、モード横断的混合型の導入、モデルの一般化可能性の検討などを追加できれば、学術的にも実践的にもさらに強固なものになるだろう。
その意味では、本書は「思考の視座を変えるきっかけ」として優れており、必ずしも最終回答を与える書ではないが、読者自身の論理観・思考スタイルを問い直す鏡として非常に有用である。
◆6.推奨すべき読者層への薦め(結語)
本書は、以下のような読者に特にお薦めできる:
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自分が「論理的思考」の定義や前提を疑ってみたい人
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異文化コミュニケーションや国際比較に関心のある人
-
教育・文章指導・言語表現の現場に携わる人
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ビジネスや政策・法務など、多様な分野で論理構成を使い分けたい人
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思考や議論のスタイルに柔軟性を持ちたい一般教養的な読書人
本書は、論理的思考を「固定された金科玉条」ではなく、状況・目的・文化に応じて選び取る素材として捉え直す視点を提供してくれる。読後には、自分自身が普段無意識に使っている論理モードを自覚し、他者の思考と相違を理解できるようになるだろう。本書を手に取ることで、思考の選択肢を拡げ、議論と対話の場でより柔軟に振る舞えるようになる一助となるだろう。
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