法則の実在をめぐる問い――2007年の思索を2025年から読む
Ⅰ 2007年のノートより
二〇〇七年の初夏、私は「物理法則に物理量は存在するか?」という一連の記事を書いた。問いの形式はやや倒錯している。「法則」という記述形式に「物理量」という実体概念を重ねて尋ねているからだ。いわば、法則そのものを物理的な「もの」として扱っている点で、カテゴリー錯誤に近い。しかし、私が探ろうとしていたのは、その誤配列の向こう側にある、法則というものの存在論的地位であった。
質量保存則はどこに「ある」のか。エネルギー保存則は、世界のどこに「宿っている」のか。もしそれらが物理的に存在しないなら、われわれは「存在しないもの」で世界を記述していることになる。この奇妙な自己矛盾を、私はポアンカレの規約主義に助けを借りて理解しようとしていた。法則とは自然の中に見出されるものではなく、人間の認識活動が構成する**認識上の人工物(the Artificial)**である、という立場である。
その頃の私は、自然科学を「世界への適応装置」として見ていた。人間は生物的進化の段階で身体の変形をやめ、かわりに観念の体系を変形させて環境に適応してきた――自然科学もその観念装置の一種である、と。法則は、進化した知的インターフェースが生み出す一種の「仮想的安定構造」にすぎない。だからこそ、ニュートン力学から相対論、量子論へと連続的に“進化”する。最適解ではなく、あくまでfeasible solutionの連鎖である。
私はこの発想を、単なる認識論的相対主義としてではなく、「生物的制約のもとで生成する知の形式」として捉えていた。自然法則は物質的なものではない。しかし、それが「物理的現象を制御できる」ほどの実在性を持つのは、人間という生物種がそのように世界をインターフェース化する仕方を進化の過程で獲得したからだ。つまり、法則は自然の内にあるのではなく、人間の世界構成の仕方に内在している。それが二〇〇七年の私の到達点だった。
Ⅱ 2025年からの自註
十八年を経たいま、当時の文章を読むと、未熟さとともに、直感的に掴みかけていたものの萌芽を感じる。私は「法則」を、情報や構造という観点から明確に捉える語彙をまだ持っていなかったが、今日の科学哲学や情報実在論の文脈に照らせば、それは**構造的実在論(structural realism)あるいは情報的実在論(informational realism)**への自生的接近だったといえる。
いまの私の見方では、自然法則は「物理的に存在する」ものではなく、世界の再帰的構造を保持する関係的パターンとして存在している。法則は物質ではなく、物質的過程の安定的関係を記述する「形」である。その意味で、「法則の実在」とは、事物の集合よりも関係の持続を指す。これはハイゼンベルクが語った「形相的存在(Form)」に近い。
また、当時「the Artificial」と呼んだものは、今の私には「インターフェースとしての言語」に読み替えられる。われわれは言語によって世界を構成し、法則という形式をその中に刻み込む。言語は世界と人間のあいだに形成された共進化的膜であり、物理法則もまた、その膜の上に浮かび上がるパターンの一つである。
したがって、二〇〇七年の私の問い「物理法則の物理性を問うことに意味があるか」は、今あらためて言えば、人間の認識構造そのものの物理的・情報的基盤を問う先駆的な試みであったと思う。
法則は自然の外にあるのでも、純粋に心の中にあるのでもない。生物としてのわれわれの記号的活動の中に、自然の秩序が折りたたまれて存在している。その折り畳み構造を可視化する作業が、哲学の任務であり、科学と人文知の接点である――。
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コメント
>したがって、二〇〇七年の私の問い「物理法則の物理性を問うことに意味があるか」は、今あらためて言えば、人間の認識構造そのものの物理的・情報的基盤を問う先駆的な試みであったと思う。
>法則は自然の外にあるのでも、純粋に心の中にあるのでもない。生物としてのわれわれの記号的活動の中に、自然の秩序が折りたたまれて存在している。その折り畳み構造を可視化する作業が、哲学の任務であり、科学と人文知の接点である――。
なるほど。そうですよね。華厳経の「帝網重々」で量子論でも「自他の境界など無いみたいなもの」だし。
投稿: 遍照飛龍 | 2025年11月13日 (木) 10時17分