法則とは無知の代用品である――私の学びの原点
私は、生来、「記憶」とか「暗記」というものが苦手です。
だから、学校の勉強も苦手でした。
もっと正直に言えば、棒暗記が「嫌い」だったのです。
しかし、義務教育だけで終るわけにもいかないかな、とか、やはり大学くらいまでは行かないとマズいかな、とか人並に考えました。
それでも、この「苦手」かつ「嫌い」なことに人生の貴重な時間を投じたくない、と思ったのです。怠け者の私には、この手の作業は《人生の無駄》としか映じませんでしたから。
現代日本という近代国家に生を享けた境遇で、なるべく「暗記」せずに、なんとか学校の成績をとりたい、高校や大学に進学したい、という《矛盾》に逢着した私は、自然と以下のような戦略をとるようになりました。
「似たような現象、繰り返し観察される記述、説明は、自分なりにルール化/法則化して、暗記する手間を省こう(メモリー不足を補おう)。できることなら、この手の《人生の無駄》をゼロにしたい。」
このような不届千万な思考回路で勉強に立ち向かっていた、と思います。いま回想しますと。また、そういうことを日夜、考えていると自然に思考の「癖」となり、特に意識せずともそういう風に、教科書、毎回の授業、に臨むようになっていったようです。
例えば、こんな風。
・中学英語の動詞の三単現、過去形、名詞の複数形では、英単語の綴りが「子音字+y」は動詞/名詞の区別なく語尾が「語幹+ied/ies」になる。
・理科の天気図の「等圧線」と地理の地図の「等高線」の見方は、線幅の広狭は、狭いと「強風/急傾斜」、広いと「弱風/緩傾斜」。
・理科の水溶液の「溶解度」グラフと天気・湿度の「飽和水蒸気量」グラフは同じ見方ができる。
・国語の初見の漢字は、漢字を構成する部品のどれかを「音読み」すれば、6~7割の正答率で当たる。
・現代国語の説明文は、文系の著者は一文が長ったらしく、一段落も長い。理系の著者は、一文が短く、一段落もリズムよく小さく切る。」
・数学の証明は、教科書に書いてある模範解答の証明は「後知恵の説明」だから、証明を思いつくには、模範証明を「逆さに読む/結論から逆読みする」。
以上、思いつくままに列挙しましたが、それこそ、爺の「後知恵の美しい思い出化」で、若年の当時の《言語化》そのままでは無いかも知れませんけど。
この《思考の癖》は、現在まで延々と生きています。
そのうえ、人生の途中で、古書店に10年間ほど在籍しまして、業務で1日100冊ほど瞥見し、月間で2,600冊(当時は週休1日)、年間で3万冊、10年間で約30万冊(学術書からベストセラー小説/エロ本まで)を瞥見しまくりました。この職業経験から、「世の中に本当に《新しいこと》とか《まったく創造的なこと》などというものは滅多にない」という教訓を得ています。
まさしく、「歴史は繰り返す」「日の下に新しきものなし」というのが私の実感です。
また、「複雑系」の世界観を学んだことで、さらに「《世界》は代わり映えしない部品の、新しい組み合わせで、少しづつ更新されていく」という風にも観察しています。
以上なんだかんだで、弊ブログに掲げてる、
私は人間である。ゆえに人間にかかわることで私に無縁なことは一つとしてない。
homo sum; humani nihil a me alienum puto. (Terentius, Heauton Timorumenos, 163 BC)
という、雑録的な割には、理屈っぽいブログ記事の内容となった次第です。
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