思想という装置について
homo sapiens は、きわめて脆弱な存在です。身体も脳も有限であり、世界の複雑さをそのまま受け止め続けるだけの認知的・精神的体力を本来的に備えてはいません。私たちは日々、理解しきれない出来事、不確実な未来、制御不能な他者、そして不可避の生老病死に囲まれて生きています。
この過剰な複雑性に耐えるために、人間はさまざまな歴史資源を発明してきました。その一つが「思想」です。思想とは真理そのものというより、むしろ世界とのあいだに設置された一種の interface、あるいは device/Apparat と呼ぶべきものではないでしょうか。それは世界を単純化し、意味を圧縮し、行為の方向を与えます。言い換えれば、思想とは、人間が世界の全体を理解できないという事実を前提として作動する認知的補助装置なのです。
しかし装置は、有効であればあるほど危険でもあります。ある思想が世界を見通せる感覚を与え、歴史の意味や未来の方向を明快に説明してくれるとき、人はしばしばその「使用感」に酔ってしまいます。複雑で曖昧な現実よりも、整然とした説明体系のほうが精神的負荷ははるかに小さいからです。こうして思想は、思考の道具から安心の拠り所へ、さらに正統性を独占する教義へと変質していきます。
しかし本来、人間の自由とは、制約の消滅によって生まれるものではありません。私たちは、生まれる場所も時代も身体も選ぶことなく、この世界へ投げ込まれます。歴史的 constraints は常に先行しています。それにもかかわらず、いやむしろそれゆえに、人間は与えられた条件の内部で意味を継ぎ足し続けることができます。自由とは、無制約の選択可能性ではなく、繰り越されてきた過去履歴の indwelling のうちに応答する能力なのではないでしょうか。
問題は、世界の複雑さに対して結論を急がず、「わからない」という状態を保留し続ける知的体力が、人間にとってきわめて消耗的である点にあります。体力が尽きたとき、人は説明の速い体系へと避難します。そしてその瞬間、思想は探究の資源から、現実を固定する装置へと転化してしまいます。
おそらく重要なのは、思想を持たないことではありません。思想に酔わないことです。すなわち、それを最終的解答としてではなく、有限な存在が世界と関わり続けるための暫定的な道具として扱い続けることです。賢者も愚者も実は平等なのです。なぜなら、私たちが持てるのは、J. S. Mill が喝破したように、せいぜい「half truth」なのですから。その慎みこそが、脆弱な存在である人間が、なお自由であり続けるための最低条件なのではないでしょうか。
※参照
Grau, teurer Freund, ist alle Theorie,Und Grün des Lebens goldner Baum.(Mephistopheles): 本に溺れたい
「一切の理論は灰色であり、現実という黄金の木こそが緑なのだよ」
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