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2026年5月31日 (日)

人間の現実・行為の意味と「世界履歴」/Human Reality, the Meaning of Human Action, and “World Log”

「現実 reality は人間にとり、如何なる様相(mode)で、流動(flux)と言えるのか」についてない知恵を搾ってツラツラ考察中です。いまを生きている私個人には、現実がちっとも flux とは感じられないからです。

しかし、過去と言う私の履歴を遡及すると、遡及時点毎に、「意味」が変化する。これが「流動flux」である、と abduction(仮説形成)してみた結果が以下です。

人間の行為は刻一刻と「世界」に刻まれ、その履歴を遺します。

無論、大抵の場合、当人には当人の意図、目的、goalがあり、それに準拠して行為を実行します。しかし悲しいかな 生身の人間はその bounded rationality の閾値を超えられず、時折、「意図せざる帰結」を迎えることも少なくありません。

また一方で当初の目論見通りの結果を得たとしても、それが俄か喜びとなるケースも出てきます。何故なら、「この世界では誰も、自分が行い語ることの意味を知りえない。」からです。

++++++++引用開始+++++++++++++
 すぐれたドラマにおいては、到来する未来が刻一刻と過去の意味を再決定する演劇的現在の時間が主権を確立する。

 そしてこの時間は、他者との思わぬ出会いの瞬間から構成される時間でもある。この瞬間的な出会いの時間においては、人は自分自身や既知の人間を未知の他者として発見する一方、未知の他者が自分の自己同一性(アイデンティティ)の一部をなしていることを見出す。

 預言者テレイシアスとの出会いがなければ、オイディプスは自分が誰なのか知ることはなかったろう。そして彼を励まそうとした妻イオカステの善意の言葉を契機として、オイディプスは自分が母と結婚した人間であることを知る。この世界では誰も、自分が行い語ることの意味を知りえない。行為の意味は人と人との出会いの瞬間に構成され、時間と共に変転する。オイディプスが父を殺し母をめとることになったのも、王命に背いて赤子の彼を殺さず見知らぬ羊飼いに渡した召使いの善意の思わぬ帰結なのだ。

 演劇においては、あの完結した時間という虚構は、始まりを終りに、終りを始まりにする時間の逆転に仕える。そして時間の逆転を通じて過去は新たな意味をもって再び生まれ、時の連続性が確立される。
関 曠野「知は遅れて到来する ―ドラマにおける時間について―」(1985年5月)/Seki Hirono, Knowledge Comes Late, On Time in Drama, 1985: 本に溺れたい
++++++++引用終了+++++++++++++

関 曠野の言葉を私流に換言するならこうです。

ひとは、何事か思い、行い、話し、書きます。その全てが本人のこの世界に於ける履歴、つまり「世界履歴」の一部となります。そして、それらの一つ一つの履歴点において、本人は当座の「意味」をその行為の束に付与しています。しかし、「text」における《語》の意味も、「人生」における各履歴点におけるその《行為》の意味も、じつはそれらを含む〈context〉を指定しなければその当の意味を「確定」できません。つまり、《語》も《行為》も一つの context に置かれて始めて、その意味を一つ指定できることになります。

ここで、ひとがなぜ「意図せざる帰結」をしばしば迎えてしまうのか、という疑問に全面的に回答できます。二つの理由があります。

1)合理性の限界(bounded rationality)
・限られた情報/知識(未来を推量するためのデータ取得には莫大なcostが必要)
・限られた情報/知識処理能力(環境の複雑さに対して、人間の認知資源が圧倒的に不足しているという数学的限界が存在する)
2)未来文脈(The Context of the Future)の原理的不在
・人間の現時点での振舞い、言動の「意味」は未来の文脈が定まらない限り、つまり未来の時点から振り返らない限り確定できない。何故なら、未来の出来事は未だ何も起きていないし、誰も行い得ないから。ちょうど過去の履歴点の「意味」がいろいろな「いま」の履歴点から観測することで、何度も再発見されるように。

だから、関 曠野が言うように、「この世界では誰も、自分が行い語ることの意味を知りえない。」というのは真実です。しかし、それらの「意味」は、当該行為を含む、未だ知られざる「世界履歴線」から、context を《指定》する度に新しく生成され、上書きされ更新される、と言うべきでしょう。つまり、人間のその時の行為の「意味」は、未来へ向けて絶えず《後ろ向きに開かれている》のです。

※本稿の補遺を別記事としました。
未来の他者性/The Otherness of the Future: 本に溺れた

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