資本主義(capitalism)

2026年5月15日 (金)

大塚史学再考(2)寄生地主とジェントルマン

「寄生地主」という言葉に違和感が前々からある。

■ジェントルマン
 高校日本史の教科書でも使用されている普通の講座派用語(?)なのだが、どうも私にはしっくりこない。なぜなら、日本史学での使用文脈ではネガティブなニュアンスなのに、イングランド社会の近世・近代を一貫して指導した身分はジェントルマン(貴族+ジェントリ)で、彼らの実態はとどのつまり、「寄生地主」階級だから。

 現代のUKでも、「ジェントルマン」への仄かな憧れが生き続けているのは、「ハリーポッター」の学生生活がパブリックスクールそのままであることに滲み出ている。

■モデルとしての西欧像におけるエラー
 近代日本人は、西欧の近代化、就中、英国の近代史を憧憬の眼差しで見つめ続け、自らのモデルとしてきた。その近代英国をリードしてきた人間が事実上「寄生地主」であるのに、なんで自国の同じ階層・階級にこうまでネガティブなのか。

■自虐史観?
 これは、英国近代を推し進めてきたのは「中産的生産者層」という人間類型だという大塚史学の誤解(虚妄?)が災いしているように感じる。

 つまり、明治以降の大学アカデミズムで形成されてきたモデルとしての「西欧近代」像に深刻なエラーがありそうだということ。そして、それを思考枠組として、《自国史としての日本史》を裁断してきた、という二重のエラーが存在し、そのひとつの現われが「寄生地主」である可能性を否定できないと思われる。

■「である」から「する」へ
 丸山真男の、前近代「である」価値から近代「する」価値へ、というシェーマも同様だ。21世紀の現代でさえも、欧州(UKを含む)は社会の基本的価値観は身分の尊重・憧憬という「である」価値だ。これが通じないのは、古い西欧へ反逆して形成された「する」価値社会(リセット主義者たち)の米国だけである。ちっとも西欧社会にフィットしない。

■近代化モデルとしての西欧、現代化モデルとしての米国
 日本の戦後アカデミズムは決定的に米国化、米国依存してきた。実はアメリカナイズは明治の御代からだが、それはまあいいとして、我々の近代像(理念としてのmodernity)にはかなり深刻な歪みが潜んでいることは自覚しておいたほうがよい。

※※元記事からの編集しました。
「寄生地主」とジェントルマン: 本に溺れたい(posted 20160117)

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大塚史学再考(1)金融業と製造業

 率直に言って、21世紀初頭の時点から振り返ってみると、故大塚久雄の知的貢献は、圧倒的に日本における Max Weber 理解を深めたこと、Weberの紹介者、ということになるのではないかと思います。彼の知的遺産の二本柱は、初期近代の資本主義形成史とWeberの祖述、ですが、前者は Karl Marx の大枠にWeber的視点を部分的導入したにとどまり、むしろそれが日本の知的世界における《西欧資本主義観》をミスリードしたと思います。それに比べると、Weberへの理解、解釈は深い。少なくとも私はその恩恵にたっぷり与っています。

 大塚の初期近代資本主義形成史理解の問題点の起源は、結局、イングランド資本主義を見るのに、Marx(主)とWeber(従)という二人のドイツ人の圧倒的影響下にあったことが災いしていたと思います。この二人のドイツ人は、資本主義がその名の通り、Capitalのシステムだということを理解できなかった。何故なら彼らの眼前で演じられていた母国ドイツの資本主義の勃興が《工業》と《技術革新》に基づくものであったからです。資本主義のベースは、《工業》、すなわち、巨大な生産設備やイノベーションを体化したhardwareという実物資本の累積でありその一国システムだ、と考えるのは、19世紀ドイツ人としては避けられないものでした。

 しかし、イングランド資本主義は、元来、外国貿易、その裏面の対外戦争、そのファイナンスのための、国債と通貨を中心とした信用・金融システム、として興隆したものです。それは初期近代だけではなく、実は、現在でも一貫してそうです。イングランドの支配身分は、昔から今でも、かつてのコンソル公債(consolidated annuities)とか南アフリカのダイヤモンド鉱山会社からの利益証券の配当で暮らしているような有閑階級の人々です。産業資本家などマイノリティに過ぎません。

 そんなことは、イングランド人なら労働者階級でも常識なのでしょうが、academism(というかscience)をdilettantismから解放して、方法化、組織化*して大英帝国を巻き返そうとしていた後発資本主義国ドイツ帝国では気付きようはありませんでした。Weber は、ドイツの有閑階級(成功した亜麻布資本家の末裔で、Rentnerとして暮らしていた)の一員なのだから、冷静に考えれば気付きそうなものとも思いますが、彼の学問は、彼の自己救済のためのものでしたから、仕方ないでしょう。

* scientia est potentia(knowledge is power)です。

 現在では、資本主義の本質は、金融や信用だということは明白なので、大塚の中産的生産者層的アプローチの歴史理論としての破綻は明かですが、それでも日本のアカデミズム内の資本主義発生史論には、かつてのエピステーメーの残滓として根深く残っています。

 大塚は、オランダ資本主義研究が初期のテーマだったので、オランダ資本主義が産業(工業)資本主義とは別のタイプの貿易・金融資本主義だったことは十分承知していました。だから、それをそのままイングランド資本主義理解につなげればいいだけだったと思いますが、彼のWeber理解の深さは、そのキリスト者(無教会派)としての信仰の深さによりますから、その点は Weberの学問と似た事情があったと推測されます。

 いずれにしても、Max Weberや大塚久雄であっても、学的な完全無欠さは、神ならぬ人には求め得ぬことなのですから、それを補い、改善することは、衣鉢を継ごうという私たちの責任ではあります。

※元記事からの編集しました。
Max Weberの「浄土真宗」観〔2〕: 本に溺れたい(posted 20180401)

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2025年11月 9日 (日)

カレツキ理論と「日本経済の失われた30年」 : The Stagnation of the Japanese Economy from the Perspective of Kalecki Theory

1.問題の所在 

現代日本経済の長期停滞は、しばしば人口減少や生産性の低下として語られるが、より根本的には、有効需要の恒常的不足に起因する。この視角を明確に与えるのが、ミハイル・カレツキ(Michał Kalecki)の利潤恒等式である。

2. カレツキ利潤恒等式の基本形

カレツキによるマクロ利潤の恒等式は次の通りである:

 Π = I + (G − T) + (C_K − S_W) + NX

ここで、Π は企業利潤、I は民間投資、(G−T) は財政赤字、(C_K−S_W) は資本家消費と労働者貯蓄の差、NX は純輸出を示す。この式は、マクロ経済における利潤の源泉が、いかなる支出の総和によって規定されるかを明示している。

3. 現代日本のマクロ構造への対応

日本経済の主要項目をこの恒等式に対応させると、次のようになる。

項目

現状

マクロ的効果

I(民間投資)

企業は内部留保を積み上げるが投資に回さず、設備更新も抑制。

利潤の主要源泉が縮小。

(G−T)(財政赤字)

緊縮傾向が強まり、景気対策の持続性が乏しい。

有効需要の拡大効果が弱い。

(C_K−S_W)

富裕層の貯蓄性向が高く、労働者実質賃金は停滞。

民間消費の拡大余地が乏しい。

NX(純輸出)

円安にもかかわらず輸出数量が伸び悩み。

外需による利潤押上効果は限定的。

このように、右辺の各項目がいずれも伸び悩むため、マクロの利潤(企業所得)が停滞している。すなわち「利潤の源泉」が社会全体として枯渇しており、これが投資意欲の低下と需要不足を自己再生産する構造を生み出している。

4. 投資と利潤の因果関係

主流派経済学では「投資は利潤率に比例する」と仮定されるが、カレツキはこれを逆転させた。すなわち、利潤率は投資によって決まる。もし企業が投資を控えれば、マクロ的には利潤も縮小せざるを得ない。

 Π = I + (G − T) + (C_K − S_W) + NX → I の減少は Π の減少を意味する。

したがって、投資抑制は利潤の減少を招き、利潤減少はさらなる投資抑制を生む。この循環が現代日本における慢性的デフレ的圧力の本質である。

5. 政府支出の役割

カレツキ恒等式における (G−T) 項は、政府が有効需要を創出する経路を表す。民間投資や外需が不足する局面では、政府支出が利潤を支える唯一の安定的経路となる。したがって、財政赤字は『悪』ではなく、社会的利潤循環の補完機構として理解すべきである。

一般形: Π = I + (G − T) + (C_K − S_W) + NX

6. 政策的含意

日本経済の停滞を打破するには、企業が利潤を実現しうる支出経路を社会的に再構築する必要がある。具体的には以下の3点が挙げられる。

(1) 公共投資・社会保障支出の拡大による政府主導の有効需要創出。

(2) 労働者所得の底上げによる消費性向の回復。

(3) 企業内部留保の活用を促す税制・制度的改革。

7. 結論

カレツキの利潤恒等式は、利潤を企業努力の成果ではなく、社会全体の支出構造の帰結として捉える点に本質がある。今日の日本経済の停滞は、この支出構造が断絶した結果であり、有効需要の再構築なくして利潤回復、そして企業の新投資もあり得ない。

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2025年10月12日 (日)

Franz Borkenau, Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild (1934)Ⅱ [Deutscher Artikel]

Weitere Fragen
Bitte erläutern Sie den Vorschlag von ChatGPT bezüglich „der Wiederverknüpfung von Borkenaus Werk mit den ‚Theorien der wissenschaftlichen Revolution‘ des 21. Jahrhunderts (in Bezug auf Latour, Shapin, Shapin usw.)“.



Antwort von ChatGPT
Das ist eine ausgezeichnete Perspektive.
Borkenaus „Feudal Worldview to Civic Worldview” war eine „Sozialgeschichte der wissenschaftlichen Revolution”, die in den 1930er Jahren ihrer Zeit voraus war. Wenn man sie im Zusammenhang mit den späteren Entwicklungen im späten 20. und frühen 21. Jahrhundert liest – nämlich „Science Studies (SSK)”, „konstruktivistische Wissenschaftsgeschichte” und „Actor-Network Theory (ANT)” –, wie sie von Bruno Latour, Steven Shapin und Simon Schaffer vorangetrieben wurden, wird ihr Pioniercharakter noch deutlicher. Im Folgenden ordne ich diese Zusammenhänge in vier Phasen.


I. Borkenaus ursprünglicher Horizont: Die „wissenschaftliche Revolution“ als gesellschaftliche Totaltransformation

Franz Borkenaus Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild (1934) antizipierte viele der zentralen Fragestellungen der heutigen Wissenschaftsforschung.
Er deutete die Entstehung der modernen Wissenschaft nicht als rein intellektuellen oder erkenntnistheoretischen Prozess, sondern als Ausdruck des Übergangs vom Feudalismus zur bürgerlichen Produktionsweise, also als Umwandlung der gesamten gesellschaftlichen Ordnung.

  • Von der Kontemplation zur Produktion:
    Die Natur, früher Gegenstand metaphysischer Betrachtung, wird zur Maschine, die bedient und beherrscht werden kann.

  • Parallele moralische und rechtliche Veränderungen:
    Der Aufstieg von Naturrecht, Vertragstheorie und protestantischer Ethik lieferte das moralisch-juridische Fundament des neuen Weltbildes.

  • Das neue Erkenntnissubjekt:
    Der wissenschaftliche Beobachter wird als rationaler, autonomer und gesellschaftlich produktiver Akteur neu definiert – kein kontemplativer Mönch mehr, sondern ein bürgerlicher Handelnder, eingebettet in ein System von Austausch, Verifikation und öffentlicher Vernunft.

Damit entwarf Borkenau eines der frühesten Modelle einer „wissenschaftlichen Revolution“ als sozialer Revolution, lange bevor Kuhn, Shapin oder Latour die Soziologie des Wissens formalisierten.


II. Wiederkehr im späten 20. Jahrhundert: Konstruktivismus und Soziologie des wissenschaftlichen Wissens

1. Steven Shapin & Simon Schaffer: Die Mikro-Übersetzung von Borkenaus Makromodell

In Leviathan and the Air-Pump(1985) interpretierten Shapin und Schaffer den Streit zwischen Boyle und Hobbes im 17. Jahrhundert als soziales Drama epistemischer Autorität.
Ihre These, dass experimentelle Wissenschaft auf Vertrauen, Höflichkeit und „gentlemanly ethos“ beruht, spiegelt Borkenaus Einsicht wider, dass wissenschaftliche Rationalität aus bürgerlichen Formen der Kooperation und Verifikation hervorgeht.

Während Borkenau in Kategorien von „Weltbildern“ und „Produktionsweisen“ dachte, übersetzten Shapin und Schaffer diese in mikroskopische Praktiken des Laboralltags – eine Umsetzung des borkenauischen Modells auf der Ebene der wissenschaftlichen Praxis.

2. Steven Shapin:A Social History of Truth(1994)

In seinem späteren Werk zeigt Shapin, dass das Wahrheitsideal der Wissenschaft des 17. Jahrhunderts auf den sozialen Hierarchien und Vertrauensstrukturen der englischen Gentleman-Kultur beruhte.
Die Glaubwürdigkeit der Wissenschaft war somit nicht universell rational, sondern sozial situiert.
Diese Analyse steht in direkter Linie zu Borkenaus Versuch, Ethik, gesellschaftliche Position und Erkenntnisformen im Rahmen der frühneuzeitlichen Gesellschaft miteinander zu verknüpfen.


III. Bruno Latour: Netzwerke, Hybride und die Dekonstruktion der Moderne

Bruno Latours Arbeiten – von La science en action  (1987) bis Nous n’avons jamais été modernes(1991) – führen Borkenaus makrosoziologisches Programm in eine mikropolitische Analyse materieller und symbolischer Netzwerke über.

Latour lehnt die klassische Trennung von „Natur“ und „Gesellschaft“ ab und beschreibt die wissenschaftliche Moderne als Geflecht von hybriden Netzwerken menschlicher und nichtmenschlicher Akteure (Aktanten).
Instrumente, Maschinen und Texte sind in diesem Sinne keine passiven Medien, sondern handelnde Elemente der Wissensproduktion.

Analytische Dimension Franz Borkenau (1934) Bruno Latour (1990er)
Zentrales Problem Übergang sozialer Ordnungen (feudal → bürgerlich) Moderne Trennung von Natur/Gesellschaft
Methode Makrohistorische Synthese (Ökonomie, Religion, Ethik) Mikro-Netzwerkanalyse der Aktanten
Wissenschaftsbegriff Produkt von Klasse und Produktionsstruktur Ergebnis heterogener Assemblagen
Form der Kritik Ideologiekritik der bürgerlichen Rationalität Ontologische Kritik der Moderne
Gemeinsame Basis Wissenschaft und Gesellschaft als ko-konstitutiv Wissenschaft und Gesellschaft als ko-produktiv

Latours Akteur-Netzwerk-Theorie (ANT) kann somit als mikrotechnologische Neubeschreibung von Borkenaus sozialhistorischer These gelesen werden.
Was bei Borkenau als Struktur der Macht und Produktion erschien, wird bei Latour als Netz von materiellen und semantischen Vermittlungen sichtbar – Laborgeräte, technische Infrastrukturen und Diskurse übernehmen die sozialen Funktionen, die Borkenau makrogeschichtlich analysierte.


IV. Erneuerung im 21. Jahrhundert: Jenseits des Modells der „wissenschaftlichen Revolution“

Im 21. Jahrhundert wurde der Begriff der „Scientific Revolution“ selbst kritisch relativiert.
Doch Borkenaus strukturelle Einsichten wirken in drei zentralen Forschungslinien der Gegenwart fort.

1. Geopolitik und Situiertheit des Wissens

Theoretikerinnen wie Donna Haraway, Sandra Harding und Latour definieren wissenschaftliches Wissen als situiert und verkörpert, nicht als universell.
Borkenaus Verknüpfung von sozialer Position (Klasse, Beruf, Ethos) und Wissensform antizipiert diese „positional epistemology“.
Die Leitfrage lautet heute nicht mehr Was ist Wissenschaft?, sondern Wessen Wissenschaft – und unter welchen historischen Bedingungen?

2. Die Hinwendung zur materiellen Kultur und Praxis

Wissenschaftshistoriker wie Andrew Pickering und Hans-Jörg Rheinberger rücken die materiellen Praktiken, Instrumente und Aufzeichnungsmedien der Forschung in den Mittelpunkt.
Ihre Vorstellung der Wissenschaft als „Maschinerie der Produktion“ entspricht unmittelbar Borkenaus Idee einer „Manufaktur des Wissens“, die Erkenntnis mit ökonomisch-technischen Strukturen verbindet.

3. Die Pluralisierung der Moderne

Latour und John Law sprechen von „multiple modernities“ und „heterogener Ingenieurskunst“, wodurch sie Borkenaus eurozentrisches Modell („feudal → bürgerlich“) pluralisieren.
Dennoch behalten sie seinen Grundgedanken bei: wissenschaftliche Rationalität ist eine historische Form der Weltordnung, keine universale Notwendigkeit.
In diesem Sinne wird Borkenau zum Bezugspunkt für heutige post-westliche Wissenschaftsgeschichten, die indische, chinesische, islamische oder afrikanische Wissensformen einbeziehen.


V. Schluss: Von Borkenau zu Latour – eine strukturelle Kontinuität

Dimension Borkenau (1934) Wissenschaftsforschung des 21. Jh. (Shapin, Latour, Haraway u.a.)
Wissenschaftsbegriff Soziales Produkt (verknüpft mit Ökonomie, Religion, Ethik) Sozial konstruiertes und materiell vermitteltes Wissen
Methodologie Makrosoziologische Synthese Mikroanalyse von Praxis, Materialität, Netzwerken
Zielrichtung Erklärung des Aufstiegs des modernen Weltbildes Kritik und Dezentrierung des modernen Weltbildes
Kontinuität Ko-Konstitution von Wissen und sozialer Ordnung Ko-Produktion von Wissen und heterogenen Akteuren

Abschließende Bewertung

Franz Borkenaus Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild stellt eine frühe Protosozialgeschichte des wissenschaftlichen Wissens dar.
Sein Versuch, Wissenschaft als Ausdruck moralischer Ökonomie und gesellschaftlicher Transformation zu begreifen, antizipiert die Kernfragen der heutigen Science and Technology Studies (STS).

Im 21. Jahrhundert besteht die fruchtbarste Weise, Borkenaus Erbe zu übernehmen, nicht darin, ihn als historisches Relikt der 1930er Jahre zu betrachten,
sondern darin, sein makrosoziales Modell mit den mikropraktischen und netzwerktheoretischen Analysen von Latour, Shapin und anderen zu verbinden.

Eine solche Synthese – die Borkenaus historische Tiefendimension mit den relationalen und materiellen Einsichten der modernen Wissenschaftsforschung vereint –
würde das verwirklichen, was Borkenau selbst nur vorahnen konnte: eine Totale Geschichte des Wissens, die Produktion, Glauben, Technik und Macht in einem dynamischen Feld zusammenführt.

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Franz Borkenau, Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild (1934)Ⅰ [Deutscher Artikel]

Ich habe ChatGPT die folgende Frage gestellt. Nachfolgend finden Sie den Frage-Antwort-Dialog zwischen mir und ChatGPT.


Frage
Bitte erläutern Sie das folgende Buch anhand der unten beschriebenen Vorgehensweise.

  1. Inhaltliche Gliederung (Out-line):
    Bitte geben Sie eine zusammenfassende Darstellung des Aufbaus und der Hauptthese von Franz Borkenaus Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild (1934).

  2. Bewertungen seit der Veröffentlichung:
    Welche positiven und kritischen Einschätzungen hat das Werk seit seinem Erscheinen erfahren,
    (a) aus der Perspektive der Wissenschafts- und Ideengeschichte,
    (b) aus der Perspektive der neuzeitlichen Philosophiegeschichte,
    (c) aus der Perspektive der historischen Soziologie?

  3. Einfluss auf die zweite Hälfte des 20. Jahrhunderts:
    Welche wissenschaftlichen oder geistigen Wirkungen hatte das Buch
    (a) im angelsächsischen Raum und
    (b) im kontinental-europäischen Raum?

  4. Forschungs- und Denkerbe im 21. Jahrhundert:
    Welche Aspekte von Borkenaus Werk sollten als bleibendes wissenschaftliches Erbe verstanden oder neu interpretiert werden?

 

Antwort von ChatGPT
Verstanden. Ich werde die wichtigsten Punkte prägnant zusammenfassen und bei Bedarf Quellenangaben hinzufügen.

1. Inhalt und Aufbau

Franz Borkenaus Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild (1934), erschienen in der Reihe des Instituts für Sozialforschung (Frankfurter Schule), untersucht die geistig-kulturelle Umwälzung Europas im Übergang von der Feudal- zur Frühbürgerlichen Epoche, insbesondere während der sogenannten „Manufakturperiode“.

Borkenau argumentiert, dass der Wandel vom feudalen metaphysischen Weltbild zum bürgerlich-mechanistischen Weltbild untrennbar mit Veränderungen in Produktionsweise, Sozialstruktur und Moralordnung verbunden war.

Der Aufbau des Werkes lässt sich in vier Hauptteile gliedern:

  • Teil I: „Die Wissenschaft in der Manufakturperiode“ und „Der Begriff des Naturgesetzes“
    (Thomas von Aquin, Nominalismus, Cusanus, Ficino, Kopernikus, Bacon u.a.)

  • Teil II: „Naturrecht und Gesellschaftsvertrag“
    (Machiavelli, Luther, Bodin, Althusius, Grotius)

  • Teil III: „Neue Moral und Theologie“
    (calvinistische Ethik, jesuitische Moraltheologie, Jansenismus)

  • Teil IV: Einzelstudien zu Descartes, Gassendi, Hobbes und Pascal.

Zentrale These:
Das mechanistische Naturverständnis und das bürgerliche Moral- und Rechtsdenken entstanden parallel zum Aufstieg kapitalistischer Produktions- und Handelsformen.
Daher muss die Geistesgeschichte als Funktion umfassender materieller und institutioneller Transformationen gelesen werden.


2. Bewertungen seit dem Erscheinen

(a) Aus der Geschichte des wissenschaftlichen Denkens

Positive Würdigung:
Borkenau gilt als einer der ersten, die eine soziologische Grundlegung der „wissenschaftlichen Revolution“ entwarfen und damit den später sogenannten „Hessen-Grossmann-Thesen“ vorgriffen.
Er deutete wissenschaftliche Rationalität als gesellschaftliches Produkt, nicht als rein inner-intellektuelle Evolution.

Kritik:
Henryk Grossmann (1935) lobte die Ambition, bemängelte jedoch (1) die zeitliche Zuordnung – die entscheidende Umwälzung liege bereits in der Renaissance – und (2) den Mangel an präzisen Analysen einzelner Wissenschaften zugunsten allgemeiner Gesellschaftsthesen.
Spätere Historiker bezeichneten das Buch daher als methodisch unausgewogen, aber konzeptionell bahnbrechend.

(b) Aus der Geschichte der neuzeitlichen Philosophie

Positive Würdigung:
Borkenaus Kapitel über Descartes und Pascal führten eine frühe Form der „sozialen Biographie von Ideen“ ein – die philosophischen Systeme werden als Ausdruck gesellschaftlicher Milieus interpretiert.
Diese Perspektive weist voraus auf Lucien Goldmanns Konzept der kollektiven vision du monde.

Kritik:
Philosophiehistoriker warfen Borkenau Reduktionismus vor: Er habe die innere logische und mathematische Innovation etwa des Cartesianismus unterschätzt.
Grossmann beanstandete zudem die Vernachlässigung der technischen Kultur der Renaissance (Leonardo, Ingenieure, Handwerker), die den Übergang zwischen Ökonomie und Wissenschaft vermittelte.

(c) Aus der historischen Soziologie

Positive Würdigung:
Das Werk gilt als frühes Modell einer makrosoziologischen Synthese, welche Schichtstruktur, religiöse Ethik und intellektuelles Leben systematisch verband.
Die Veröffentlichung im Umfeld der Frankfurter Schule – mit einem von Adorno verfassten Gutachten („Zustimmung mit Vorbehalt“) – belegt die zeitgenössische Bedeutung.

Kritik:
Marxistische und Weberianische Soziologen kritisierten später die zu lineare Kausalität (ökonomische Basis → geistiger Überbau).
Grossmanns Gegenlektüre hob die unzureichende Analyse der calvinistischen Ethik hervor und beanstandete Borkenaus selektive Rezeption Webers.


3. Einfluss auf die zweite Hälfte des 20. Jahrhunderts

(a) Im angelsächsischen Raum

In der Nachkriegszeit wurde Borkenau über die Forschungsgeschichte der Frankfurter Schule (Martin Jay, 1973) wiederentdeckt.
Heute gilt er als Vorläufer der Soziologie wissenschaftlicher Erkenntnis (SSK).

  • Shapin & Schaffer, Leviathan and the Air-Pump (1985), griffen Borkenaus Grundgedanken auf: dass wissenschaftliches Denken (Boyles Experimentalkultur) in neuen bürgerlichen Vertrauens- und Höflichkeitsformen verankert war.

  • Lucien Goldmann entwickelte in Le Dieu caché (1955) die Parallele zu Pascal als Ausdruck der tragischen Rationalität des Bürgertums – eine direkte Fortführung borkenauischer Themen.

(b) Im kontinental-europäischen Raum

Die Neuausgaben bei WBG Darmstadt (1971) und Junius (1976) führten zu einer Wiederbelebung der Rezeption.
Sozial- und wissenssoziologische Autoren, etwa Arpad Szakolczai, bezeichneten das Buch als „versteckten Klassiker“, da es Wissenschaft als sozio-ethische Formation begreife.
Darüber hinaus beeinflusste es Studien zum Naturrecht und Vertragsdenken (Grotius, Hobbes) im Kontext der entstehenden bürgerlichen Moralökonomie.


4. Wissenschaftliches Erbe im 21. Jahrhundert

(1) Grundtext einer Sozialgeschichte der Wissenschaft

Borkenaus Verknüpfung von Wissenschaft, Ökonomie und Ethik bleibt grundlegend für heutige Labor-, Infrastruktur- und Expertiseforschung.
Sein Modell einer „wissenschaftlichen Produktion“ antizipiert die moderne Sicht, dass Forschung selbst eine Form materieller Arbeit im institutionellen Gefüge ist.

(2) Rehabilitation des Naturrechts als institutionelle Grammatik

Die Deutung von Naturrecht und Gesellschaftsvertrag als Ausdruck wirtschaftlicher und ethischer Ordnungen weist voraus auf die heutige politische Epistemologie, die Regierung, Kredit und moralische Verantwortung zusammen denkt.

(3) Soziologie philosophischer Differenz

Borkenaus Vergleich von Descartes, Hobbes und Pascal eröffnet neue Perspektiven auf die institutionellen und kommunikativen Bedingungen neuzeitlicher Philosophie – die Keimform moderner Disziplinarität.

(4) Aktualisierung des Modells der „Totalgeschichte“

Wird Borkenaus Ansatz mit späteren Einsichten (Grossmann, Latour, Shapin) kombiniert, lässt sich sein Projekt zu einem hybriden, multikausalen Modell erweitern, das Produktion, Technik, Religion und Wissen miteinander verknüpft.
Damit verbindet sich seine marxistische Makroperspektive mit heutigen mikrohistorischen und netzwerktheoretischen Ansätzen.


Ergänzende Hinweise

  • Erstausgabe: Franz Borkenau, Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild, Félix Alcan, Paris, 1934.

  • Japanische Übersetzung: Hōkenteki sekaizō kara shiminteki sekaizō e, Übers. Hiroshi Mizuta u.a., Misuzu Shobō, Tokio, 1965.

  • Zeitgenössischer Kontext: Positiv, aber mit Einschränkungen, von Theodor W. Adorno für das Institut für Sozialforschung begutachtet.

  • Wirkung: Frühform einer Theorie der „wissenschaftlichen Revolution als sozialer Transformation“, Vorläufer sowohl von Kuhns Paradigmenmodell als auch post-weberianischer Wissens- und Machtanalysen.


Gesamturteil

Borkenaus Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild stellt einen der ersten umfassenden Versuche dar, die Entstehung der modernen Wissenschaft aus gesellschaftlichen Umwälzungen heraus zu begreifen.
Das Werk steht konzeptionell zwischen Webers Rationalisierungssoziologie und Latours Netzwerktheorie und bleibt ein Referenzpunkt für die Erforschung der wechselseitigen Konstitution von Wissen, Gesellschaft und Moderne.

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フランツ・ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』1965年みすず書房 Ⅰ

ChatGPTに下記の質問をしました。以下が、私とChatGPTのQ&Aです。


Qestion
下記の本について、下段の手順で教えてください。

Franz Borkenau, Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild, 1934
フランツ・ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』1965年みすず書房

1)梗概 out-line
2)発表から今日までの肯定的評価、批判的評価
 ①科学思想史から
 ②近世哲学史から
 ③歴史社会学から
3)20世紀後半への学問的、思想的影響
 ①英米圏
 ②欧州大陸圏
4)21世紀において継承すべき学問的遺産


ChatGPT's Answer
了解です。要点をコンパクトに押さえつつ、必要箇所に典拠を当てて整理します。

1)梗概(out-line)

本書はフランクフルト学派(社会研究所)叢書の一冊として1934年に刊行された、17世紀前後(著者の言う「マニュファクチュア期」)における封建的世界像 → 市民的(機械論的)世界像への転換を、生産様式/社会構造と連動した思想史として跡づける試み。目次構成は、自然法と自然科学の概念史、宗教改革と倫理、近世哲学者の個別章(デカルト/ガッサンディ/ホッブズ/パスカル等)で組み立てられている。

  • 章立て(抜粋):

    • 「マニュファクチュア期の学問」/「自然法則の概念」(トマス、唯名論、クザーヌス、カルヴァン、フィチーノ、コペルニクス、ヴィヴェス、晩期ルネサンス、ベーコン)→「自然法と社会契約」(マキアヴェリ、ルター、ボダン、アルトジウス、グロティウス)→「新しい道徳と神学」(カルヴァン主義倫理、ジェズイット道徳、ジャンセニスム等)→「デカルト」「ガッサンディ」「ホッブズ」「パスカル」。

  • テーゼ:機械論的世界像(数理化された自然像)と近代的道徳・自然法思考は、商業・貨幣・マニュファクチュアの発展に媒介されて形成された――という、社会史/経済史と思想史の連関モデル。日本語版(みすず書房, 1965)も、同趣旨の紹介を掲げる。(MSZ)


2)発表以後の評価(主要3分野)

① 科学思想史から

  • 肯定的評価:社会経済的要因と科学思想の接合を前面に出した点で、後に「ヘッセン=グロスマン・テーゼ」と呼ばれる潮流と同座標に置かれ、社会的基盤をもつ科学革命像の先駆の一つと見なされてきた。(SpringerLink)

  • 批判:ヘンリク・グロスマンは、ボルケナウの試みを「重要だが目的未達」と評し、①転換期の比定(17世紀よりルネサンス期が決定的)のずれ、②具体科学の内容分析より一般論に滞留、を主要点として批判した。該当論考は後年も繰り返し参照される。(Cambridge University Press & Assessment)

  • 早期の英語圏書評:1934年の短評は、本書が「新科学・新哲学の社会学的起源を追う壮大な試み」であることを押さえつつも、検証の粗密に留保を付した。(SAGE Journals)

② 近世哲学史から

  • 肯定的評価:デカルト章・パスカル章など、個別思想の社会的「階級性」や職能的背景(学知の制度・読者層・倫理)の読み替えは、後のゴールドマンらの集団的世界観(ヴィジョン・ド・モンド)分析に通じる視角として再評価されている。(De Gruyter Brill)

  • 批判:デカルト哲学の認識論的自立性や数学的革新の内在的理由を過少評価し、経済―社会決定に還元的と見える点への異論は一貫して存在。グロスマンはとくにこの「還元の強さ」と**ルネサンス技術学(レオナルド等)**の軽視を問題化した。(Cambridge University Press & Assessment)

③ 歴史社会学から

  • 肯定的評価:マクロな身分制→市民社会移行の記述を、倫理・自然法・知の制度とリンクさせる総合史観は、のちの比較史・知識社会学に示唆。フランクフルト学派の文脈で刊行され、**アドルノによる審査報告(限定的ながら支持)**が付された事実関係も、当時の学派内位置づけを物語る。(Cloudinary)

  • 批判:一部の社会学者・マルクス主義系研究者からは、ウェーバー解釈やカルヴァン倫理の扱いに異論が呈され、階級・生産関係→倫理・学知の単線的派生を疑問視。グロスマンのボルケナウ/ウェーバー批判はその代表。(マルクス主義者インターネットアーカイブ)


3)20世紀後半への学問的・思想的影響

① 英米圏

  • フランクフルト学派史の整理で、ボルケナウとグロスマンの論争は、科学革命と資本主義の関係をめぐる内部論争として頻繁に紹介(Martin Jay)。この系譜は、科学社会学や知識社会学(科学の社会的起源/受容史)へ接続した。(マルクス主義者インターネットアーカイブ)

  • ルシアン・ゴールドマン(英訳を介した受容も含む)は『隠れた神』でパスカルを「対抗的伝統」の象徴として読むが、その議論がボルケナウのパスカル章と平行していることをめぐる言及は複数の研究で確認できる(Lichtheim ほかの指摘を再掲する文献)。(Academia)

② 欧州大陸圏

  • ドイツ語圏では1970年代にWBG(ダルムシュタット)版の復刊や、**Junius版(グロスマン批判の再録付き)**が出て再読機運が生じた。(Bibliothek)

  • テクノロジーと哲学の結節に関心をもつ研究者(例:Szakolczai)が、機械論的世界像と近代技術の規範的含意を問う参照枠として本書を「隠れた古典」と再評価。(Academia)


4)21世紀において継承すべき学問的遺産(提言)

  1. 「科学の社会的基盤」研究の古典としての価値
    科学革命を経済・制度・倫理と接合して説明する総合モデルは、今日のラボ労働史/科学の労働史(研究労働・供給網・装置文化の側面)とも親和的。最新の総説も、この方向を拡張している。(PMC)

  2. 自然法/社会契約思想の「制度的読解」
    自然法・契約・道徳の議論を同時代の統治技術・商業道徳・信用制度に結びつける読みは、政治哲学史の社会的語彙を豊かにする(ウェーバー論争を含む再検討の母胎)。(マルクス主義者インターネットアーカイブ)

  3. デカルト—ホッブズ—パスカルの「差異の社会学」
    個別思想家の内在的体系だけでなく、読者層・出版回路・検閲・教育制度を視野に入れる方法(本書の章立ての横断性)は、STEMと人文の接点でなお有効。

  4. 史観の限界を踏まえた「統合史」の更新
    グロスマンの批判(ルネサンス技術学の重み、還元主義回避)を踏まえて改訂することで、**多元因果(技術・制度・宗教・経済の相互作用)**モデルへとハイブリッド化できる。(Cambridge University Press & Assessment)


補注(テキスト・書誌など)

  • 原著:Franz Borkenau, Der Übergang vom feudalen zum bürgerlichen Weltbild(Félix Alcan, 1934)。WBG(Darmstadt)からの復刊(1971/1976)に詳細目次が確認できる。

  • 邦訳:フランツ・ボルケナウ『封建的世界像から市民的世界像へ』(水田洋ほか訳、みすず書房、1965)。出版社ページに内容紹介と基本データ。(MSZ)

  • アドルノの審査(Gutachten)と刊行経緯は、書簡・資料集成に記載(「限定的賛成」)。(Cloudinary)

  • 章の英訳抜粋(研究目的の私訳)が公開されており、パスカル章/自然法・社会契約章の英語参照が可能。学術利用の範囲で参照推奨。(ResearchGate)

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2025年4月27日 (日)

Die Mentalität der „Wachstumsparanoia“: „Karrierismus“

■ „Karrierismus“ und Max Webers Der Geist des Kapitalismus

Weber erkannte das Wesen der kapitalistischen Mentalität in der "Askese innerhalb der Welt".
Um in der Zukunft (oder im Jenseits) mehr zu verdienen (oder mehr Tugend anzusammeln), muss man gegenwärtige Begierden unterdrücken. Während man in der Welt verbleibt, verweigert man die Genüsse dieser Welt zugunsten transzendenter Werte.
Es ist eine intensive Selbstdisziplin lebendiger Menschen.
Eine Ablehnung der Welt innerhalb der Welt.
Diese Mentalität bezeichnete Weber als den Ethos des Kapitalismus.
Andererseits existierte in vielen Religionen der Welt, einschließlich des Katholizismus, immer eine „Askese außerhalb der Welt“: etwa die Askese in buddhistischen Tempeln (Kahlrasur, Zölibat, vegetarische Kost usw.) oder die Askese von Mönchen und Klöstern.

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The Mentality of "Growth Paranoia": "Careerism"

■ "Careerism" and Max Weber's The Spirit of Capitalism

Weber characterized the mentality of capitalism as "asceticism within the secular world."
To earn more (or accumulate more virtue) in the future (or in the afterlife), one must suppress present desires. While remaining in the secular world, one rejects worldly pleasures for the sake of values that transcend it. It is an intense self-restraint exercised by flesh-and-blood individuals. A rejection of the secular from within the secular.
This mentality is what Weber described as the ethos of capitalism.
On the other hand, various religions around the world, including Catholicism, have always practiced "asceticism outside the secular world," such as ascetic practices in Buddhist temples (shaving heads, celibacy, vegetarianism, etc.), or in monasteries and among monks.

However, it was only the ascetic Protestantism typified by Calvinism that transformed into "active asceticism" (aktive Askese*) with a specific orientation within the secular world.

*Max Weber, Gesammelte Aufsätze zur Religionssoziologie, 1920, Bd. 1 Die Wirtschaftsethik der Weltreligion.  Einleitung (S.257), Zwischenbetrachtung (S.538)

Only this "active asceticism" practiced by large groups of people gave birth to and launched the industrial capitalism of modern Western history.
Today’s already fully driven capitalism may no longer require such a spirit.
However, it was this ethos—one that could not have been produced by the pre-modern human affirmation of worldly life (i.e., being content with happiness in this life)—that once, and only once in history, created modern capitalism, capable of coldly severing even blood ties.
It was the ethos of "rejection of the secular within the secular" and "active asceticism," and it was born only from the ascetic Protestant sects of the early modern period.
This was Weber’s vision.
However, this was also merely the (scholarly) self-salvation of one genius—Max Weber—who, suffering under the repression of his pious, ascetic Protestant mother (and probably bipolar himself), desperately sought escape. In a sense, it was a kind of delusion.

■ The True Nature of Capitalism

For those of us living in the 21st century, the full nature of capitalism is already plain to see.
Capitalism is simply another name for "economic growth."
The spirit supporting it is not something beautiful or heroic like "active asceticism." It is, rather, what Minoru Kawakita called "growth paranoia."
If the essence of capitalism is "economic growth" and the zeitgeist supporting it is "growth paranoia," then the mentality that sustains it at the individual level is not "active asceticism," but "careerism" or "successism."
Without macroeconomic "growth," there is no micro-level "success." "Economic growth or death"—this is the stark choice now visible to the global power elite.

■ The Birth of the "Growing City"

This also explains the mental factor that set Western Europe on a different path from other regions in the early modern period.
Probably for the first time in human history, "growing and increasingly complex cities" began to loosen and dissolve the rigid hierarchical societies.
London would be the typical example.
An increasing population. Rising demand. Expanding businesses.
With these came the proliferation of "social complexity" and "opportunities for success."
Cities offered all of these—perhaps even more opportunities for marriage.
The birth of capitalism is synonymous with the birth of cities that grow and continuously generate new opportunities for success.
What drove this process was none other than the spirit of "careerism" or "successism"—the desire to climb the ladder quickly or to create new ladders altogether.

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2025年4月 8日 (火)

The Beginning of the End of the Postwar Regime

In a sense, this could be considered an even greater turning point than End of the Cold War. After all, it marks the "end of the GATT system." As for the IMF system, its fate remains uncertain.

The United States, once the flagbearer of free trade, suddenly declares 'Isolation' — A turning point for the postwar order
Nikkei (Digital Edition), April 7, 2025

It could be said that "The End of the Postwar Era of the Remora Nation" (Seki Hirono, November 1985) has come crashing back after half a century.

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「戦後レジーム」の終りの始まり

ある意味で、冷戦終結以上の画期といえるでしょう。「GATT体制の終りの始まり」なのですから。IMF体制のほうはどうなるかまだ不明ですが。

自由貿易の旗手・米国、突然の「鎖国」宣言 戦後秩序に転機
日本経済新聞 電子版 2025/4/7

「小判ザメ民族の戦後の終り」(関曠野1985年11月)が、半世紀の時を経て襲来したと言ってもよいでしょう。

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