《文明化》とは《家畜化》である/ Civilization is domestication
まず、いまから66年前に出版された本から引用します。
私はアッサムの未開民族の地域を旅して、ヒマラヤに入ったときほど、高度な宗教政治組織をもつ社会というものがいかに、それを持たない社会と異なるものであるかを痛感したことはない。たとえ両者ともに私たちの生活水準から見れば、あまり違わず未開に見えようとも、そこには大きな違いがある。この違いをうまく説明することはなかなかむつかしいが、ここでチベット人の表現を借りよう。チベットはかつて仏教をもたなかった人々(彼らは野蕃人とよぶ)が仏教を知り、その信仰に入るということを、野生の動物を家畜化するという表現と同じ語を使う。たしかに私の観察をもってしても、一言にしていえば、アッサムの未開民族を野生の動物にたとえれば、ヒマラヤの民族は、ヒンドゥ教徒やキリスト教徒とともに家畜に相当する。アッサムのジャングルからヒンドゥ教徒、あるいは仏教徒のいる地帯に入ったときに感ずるいいしれない安堵感といったものは、ぴったりそれに当る。もうここでは私の常識を逸して、意味なく殺されるというようなことは絶対に起こりえない、という、そして道は外の世界に通じているという解放的な安堵感である。封鎖的な未開民族の社会にいるときは、自分の育った社会的習慣、価値観をゼロにして、彼らのものに従わなければならない。それを不幸にして知らずに、彼らの心の動き、慣習の掟に反して触れようものなら、私はたちまちにして、彼らのたけり狂う本能の餌食にならなければならない。少しも休めることのできない神経と、想像力を使っていなければならない緊張感が、常に底流となって私の中で流れつづけていた。
しかし、ヒマラヤは違う。仏教によって人々の本能はためられ、コミュニケーションの可能性によって、他の社会 -自分たちと異なる価値、習慣をもった- の人間がいるということを人々は知っている。精神は陶冶され、知識は比較にならないほどその量をましている。ヒマラヤの人々が神秘で未開に見えるという人たちは、その人たちにチベット仏教や、その社会に関する教養のない故である。日本の、東洋の文化を少しも知らないヨーロッパ人が日本人を気味悪く思うのと同じことである。
高度な宗教がその社会に定着したということは、未開から文明への重要なメルクマールとなる。私たちは十九世紀以降の西欧文明の飛躍的な発展に強く影響され、ともすれば文明とは近代ヨーロッパに象徴されるものと思いがちで、欧米が文明国であり、アジアはそうではないようにさえ思っているが、その一つ奥に、こうしたところに人間社会の未開と文明がはっきり見分けられることを忘れてはならない。特に長い人類の歴史において、人間の精神の成長過程を思うとき、この問題は大きな重要性をもってくるのである。
アジア・アフリカ問題を取り扱うときにもこうした見方は、複雑な諸現象を理解する助けにもなろう。アジアの中でも、早くから中国、インドの高文化の伝播した蒙古、チベット、ヒマラヤ、東南アジア大陸部、インドネシアなどは、フィリッピン、その他の太平洋の島々、アフリカなどから、その文化、社会の質が大きく区別されなければならない。後者においては、いわゆるヨーロッパ諸国が外に発展し、征服につづく植民政策に伴ってキリスト教文化がプリミティヴな社会に直接浸透したのであり、高文化との接触の時期は前者に比して驚くほどおそく、その接触の仕方も非常に異なっている。アジアを考えるとき、この大きな相違が日本人ばかりでなく、欧米の人々にもあまり気がつかれていないようである。
高文化の伝播及びその受容ということは、社会を単位として行われてはじめて実を結ぶものである。宗教においても、宣教師が未開民族地帯に入って行って、その社会のニ、三人の個人がキリスト教徒となったとしても、社会全体がキリスト教文化の複合体としてそれを受容しないかぎり、その個人の底流には依然、未開のままの地が残されているのである。その社会の過半数の人々が受容し、何世代も、何百年もそれが行われて、はじめて定着するものである。
出典:中根千枝『未開の顔・文明の顔』中公文庫1990年7月(元版:『未開の顔・文明の顔』1959年3月中央公論社刊)
pp.98-100、引用書の圏点はカラーフォントとした。下線は引用者(renqing)による。
塩沢先生からご紹介のあった本は、既に翻訳が出ていました。
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